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新近江名所図会

新近江名所圖會 第258回 湖東平野に築かれた県内屈指の大型円墳-住蓮坊古墳-

近江八幡市
住蓮坊古墳
住蓮坊古墳
供養塚古墳から見た住蓮坊古墳
供養塚古墳から見た住蓮坊古墳
墳頂に建てられた住蓮・安楽の石塔
墳頂に建てられた住蓮・安楽の石塔

古墳といえば、上から見た形が鍵穴形をした前方後円墳を思い浮かべる人が多いと思います。しかし、実は他にもさまざまな形のものがあり、なかでも数が最も多いのは円墳とよばれる古墳です。今回紹介する住蓮坊古墳(じゅうれんぼうこふん)もその一つです。
この古墳については第185回で簡単に触れられていますが、ここでは詳しく見ていくことにします。住蓮坊古墳は、近江八幡市千僧供町にあり、人物埴輪や馬形埴輪を含む多量の埴輪が出土した供養塚古墳(埴輪の一部は滋賀県立安土城考古博物館で展示されています)や横穴式石室をもつ岩塚古墳などとともに千僧供古墳群を形成しています。葺石や埴輪は確認されていませんが、周濠を持ち、墳丘の直径は約60mを測ります。内部の構造や副葬品なども不明ですが、周濠内から出土した土器の年代から5世紀中頃~後半に築かれたと考えられます。先ほど述べたとおり、円墳は古墳の中でも最も多く見られるのですが、当古墳のように50m以上の規模をもつものは県内でも数例しかありません。現在、古墳の周辺には水田が広がっており、現地に足を運べば、その雄大さを実感できることでしょう。
また、古墳の上には2基の石塔があります。石塔にはそれぞれ住蓮、安楽の名が刻まれています。住蓮と安楽はいずれも浄土宗の開祖法然の門弟で、浄土教教団に対する旧仏教勢力からの弾圧が強まるなか、建永元年(1206年)、後鳥羽上皇の女房たちと密通をはたらいたとの嫌疑をかけられ、住蓮は翌年の承元元年(1207)に当地で処刑されたといわれています。この事件は法然の讃岐への流罪、親鸞の越後への流罪などとあわせて、承元の法難と呼ばれています。もちろん、石塔は後の時代に建てられたもので古墳とは直接関係ありませんが、この地域がそうした日本史上の重大事件の舞台になったことを今に伝えるものとして見逃せません。近くの公園には、住蓮の首を洗ったと伝わる首洗いの池もあります。こちらも一見の価値ありです。
なお、住蓮坊古墳をはじめ、地域のコアな歴史を学ぶのに絶好のおすすめスポットが千僧供地域歴史資料館です。千僧供地域には蒲生郡衙跡と推定される御館前遺跡や古代寺院の千僧供廃寺など重要な遺跡が知られています。資料館は今年開館10周年を迎えました。展示の規模は小さいですが、供養塚古墳から出土した鉄製品や埴輪をはじめ、町内の遺跡からの出土品が展示され、充実の内容となっています。実は、私は学生だった10年前にこの資料館の開館準備をお手伝いしたことがあり、思い入れがあります。地元の方々が運営する手作り感も魅力の地域に根ざした資料館です。ぜひ、週末に足を運んでみてください。

宮村誠司

アクセス
公共交通機関:JR近江八幡駅南口からバス乗車、六枚橋停留所下車徒歩5分
自家用車:国道8号六枚橋交差点から県道14号南進すぐ

住連坊古墳

千僧供歴史資料館

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