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調査員オススメの逸品 第217回 天文の理に精通せよ!―発掘調査のみちしるべ“気象レーダー”―

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わたしたちが発掘調査を行う際に、日々最も気を使っているのが、発掘調査現場の天候でしょう。荒天の際には、危険が伴うこともあるために、現場での作業は中止せざるを得ません。そのため、毎朝さまざまなメディアの天気予報をチェックして、作業実施の可否を熟考するのも、わたしたち技師にとっての大切な仕事のひとつです。

雨雲接近中!(気象庁HPより)
雨雲接近中!(気象庁HPより)

わたしは、その日の天気を考える手段のひとつとして「気象レーダー」を利用しています。気象レーダーとは、もちろん気象を観測するためのものです。レーダーから発せられる電磁波を分析することにより、雨や雪の位置や密度、風速や風向きなどを観測しています。例えば、気象庁のホームページで公開されている気象レーダーでは、5分ごとの降水強度(1時間当たりに換算した雨量)や、1時間先までの降水強度を確認することができます。
もちろんその日一日を通しての天気予報も確認しますが、それだけを参考にしていたころは、思いがけない天気の変化に何度も何度も泣かされてきました。その度に、雨の中、首をかしげながら出勤してきた作業員さんたちに「ごめんなさい!今日は天気を読み違えました」と何度頭を下げたことか…。しかし、気象レーダーであれば、発掘現場に近いエリアにおいて、ピンポイントで雨雲の動きを観察できることから、自分でもより精度の高い予測が可能となるのです。もちろん天候は、作業中にも刻々と変化していきます。そんなうつろいやすい天候の中で調査をする際には、作業をこのまま続行するのか、それとも中断するのか、つまり退くか進むかを決断する重要なみちしるべとなるのです。

現代ではそんな便利なツールがありますが、かつての天気予報とはいったいどういうものだったのでしょう?古代中国は、世界でも最も古い時代から、季節や天気の認識が確立していた国と知られています。そして、なんと今から3,000年以上前の殷王朝の時代からすでに天気予報がなされていたことが甲骨文字の記録からわかっています。
一方日本では、古くは呪術に長けたシャーマンたちが天候予測をしていたとも考えられていますが、室町時代の康正二年(一四五六年)に著された『一品流三島村上流船行要術』(以下、『船行要術』)が、わが国最初の気象学の書ともいわれています。この書は、かつて瀬戸内海を中心として活躍した村上水軍のひとり、村上山城守雅房が著したものです。村上水軍は、造船技術や、海戦術などにおいて卓越した知識を持っており、まさに“海の王者”として瀬戸内海に君臨していました。その一方で、現代の気象学者の中には彼らを“日本海軍の先駆者軍団”であると同時に“海上・沿岸の気象と地形の関係を記述した局地気候学の創立者集団”と評する人もいます。つまり村上水軍が海の王者として活躍した背景は、きわめて高度な気象の知識があったからこそだというものです。
そんな彼らの天候予測とはどのようなものだったのでしょうか。『船行要術』の巻第三に「天気之部」という項目があります。例えば、“夏の風”についての記述を拾ってみると、「夏南風強く吹くときは陽気強くして急雨と知るべし。」「夏北風強きは南風と成りて三日のうちに雨と成るべし。」このように、天候の変化は何が発端となって起こるのかを具体的に記しているのです。まさに、地域を知り尽くしたからこそできる高度な天候予測であったことがわかります。

『船行要術』にこんな一節があります。
「天文の理に精通せよ。」
気象レーダーをはじめとして、さまざまな天気予報の技術が発達した時代だとはいえ、天気の読み違えは日常茶飯事です。天文の理に精通するまで、わたしが頭を下げる日々はつづきます。

木下義信

参考文献)吉野正敏(2006)『歴史に気候を読む』株式会社学生社

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