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新近江名所図会

新近江名所圖會 第259回 井伊家ゆかりの社殿-礒崎神社

米原市
写真1
礒崎神社本殿
写真2
本殿の橘紋入り獅子口
写真3
拝殿の井桁紋・橘紋入り瓦
写真4
烏帽子岩からの眺望

彦根から湖岸道路を北へと走り米原市との境近くに差し掛かると、右手に琵琶湖に突き出したような山が見えてきます。今回はこの山=磯山(いそやま)に鎮座する礒崎(いそざき)神社についてご紹介します。
礒崎神社は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祭神としていますが、日本武尊といえば『古事記』、『日本書紀』に記された西征・東征の説話がよく知られています。東征の帰途、伊吹山(米原市)の荒ぶる神に敗れ傷ついた日本武尊は尾張へ向かう途中、亡くなりました。礒崎神社の縁起によれば、日本武尊は米原市磯で亡くなり磯山に葬られたとされ、後に聖武天皇の勅命によって社殿が建立されたことが神社の起源であると伝えられています。毎年5月3日に行われる例祭「武者行列」では武勇の誉れ高い日本武尊にあやかり男児は鎧武者姿、女児は稚児姿で巡行します。平安時代末期、源平の争乱の際には、木曽義仲の軍勢が当地を通過しており、武運長久を祈願したと伝わっています。室町~安土桃山時代には京極持清、豊臣秀吉、藤堂高虎といった武将の崇敬を受けました。
礒崎神社は大河ドラマでもおなじみの井伊家とも関係があります。井伊家が彦根に入ると彦根城北の守護神と位置づけられ、歴代藩主の厚い崇敬を受けました。現在の社殿は井伊家により再建されたものです。そのことを物語るモノとして、本殿、拝殿には井伊家の家紋(定紋の橘紋と替紋の井桁紋)が象られた塗金の棟込瓦、獅子口瓦が見受けられます。現地を訪れた際には、目線を屋根の上にも向けていただければと思います。
また、磯山には神社だけではなく各時代の遺跡が広がっています。以下、時代を追ってみていきましょう。まず、縄文時代の遺跡として磯山城遺跡が挙げられます。過去の発掘調査では縄文時代早期から晩期にかけての土器・石器、さらには早期末の人骨などが出土しました。西端に展開する磯崎古墳群では、琵琶湖に面した立地に加え、土錘が出土していることから琵琶湖の湖上交通や漁業と関わった「海人」との関連が想定されています。東麓には堂谷廃寺があり、白鳳時代の鴟尾や軒平瓦が採集されています。そのほか、戦国時代には磯山城という山城があり浅井領と六角領の境目の城として機能しました。現在も将兵の駐屯地となった曲輪群が残っています。
ちなみに、関ケ原の戦いの後、井伊直政は一旦、石田三成の居城であった佐和山城に入りますが、新城候補地の一つとして磯山が挙げられていました。結果的には、その南方、彦根山の地に彦根城が築かれたことは皆さんもよくご存知のことと思います。
このように、縄文時代から戦国時代にかけて種々の遺跡が広がっている磯山は地域の歴史を語る上で欠かすことのできない重要なスポットです。山頂からの眺望もとても素晴らしく、琵琶湖や伊吹山を一望することができます。是非とも足を運んでみてください。

山口誠司

◆周辺のおすすめ情報
磯山を下りてすぐのところに、注連縄(しめなわ)をはった烏帽子岩(結岩)があります。
ここから眺める琵琶湖もおすすめの景色です。古くから景勝地として知られ、すぐ近く
には万葉歌人・高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が詠んだ歌碑が建てられています。

◆アクセス
公共交通機関:JR米原駅から徒歩55分
自家用車:彦根インターから11分

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