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新近江名所図会

調査員オススメの逸品 第228回 古代の植物―大中の湖南遺跡から見つかった、植物遺体― 

近江八幡市

近江八幡市(旧安土町)の大中の湖南遺跡から、陸地側から内湖側に向かって突出すように造られた、7世紀後半~8世紀前半頃の突堤状遺構が2基見つかりました。遺構の性格については、桟橋・消波堤(しょうはてい)などの諸説がありますが、いずれにしても港湾施設の一部であると考えられます。それぞれに構造が異なりますが、全長27.2m・幅3mのものを第1遺構とし、これよりも後の時代に造られた全長42m・幅2mのものを第2遺構と呼んでいます。

全景
大中の湖南遺跡 調査地全景

この遺跡の遺物については、これまで数回にわたりご紹介させていただきましたが、今回は遺物ではなく、植物遺体に注目してお話ししたいと思います。
もとの地形が内湖である大中の湖南遺跡のような、水分を多く含んだ土壌に形成される遺跡を低湿地遺跡といいます。低湿地遺跡では、木製品などの人が残した遺物以外にも、木材・葉・種子・花粉などの自然の植物遺体が多くみつかります。これらは、遺跡が機能していた当時、その場所がどのような環境であったかを知るための重要な資料になりますが、このうち、肉眼で観察できるものを大型植物遺体と呼んでいます。
大中の湖大型植物遺体は、第一遺構中央部の石敷き上面から、任意に採取したものです。採取と同定は、縄文時代の粟津湖底遺跡(第三貝塚)から出土した、大型植物遺体の同定を行った、同僚の中川さんにお願いしました。(中川さんの協力に感謝しています。)
同定の結果、見つかった大型植物遺体は、トチノキ果実・ヒシ属果実・オニグルミ核・ヒョウタン仲間果実だということがわかりました。トチノキ果実は中に種子が入った状態で、ヒシ属果実はほぼ完形で、オニグルミ核は自然発芽をしたものと齧歯(げっし)類による食害痕があるもの、ヒョウタン仲間果実は外皮の一部が見つかっています。縄文時代から近世にかけて、食糧や容器として利用されてきたものですが、採取した試料には、まったく人が関わった痕跡がありませんでした。秋に実をつけるものばかりなので、秋になって周辺に生育していたものが落下し堆積したか、やや遠方から水流によって流されてきたものだと考えられます。

堅果類
左からトチ・ヒシ・クルミ・ヒョウタン
土錘出土状況
土錘出土状況
西の湖
現在の西の湖

また、突堤状遺構の上面や基底面から木製浮子(うき)や土師質土錘(どすい)などの漁労具が広範囲に出土していることから、遺跡周辺が良好な漁場であったこともわかっています。
大中の湖南遺跡の港湾遺構が造られた場所の小字名(地名)は下豊浦(しもといら)といいます。古代の資料において浦(うら)は屈曲した入り江であった場所をさすそうです。大中の湖南遺跡の突堤状遺構が造られた場所は、水深が浅く、波が穏やかで舟を安全に停泊させるには、適した場所であったようです。
冒頭の写真にありますように、現在は干拓されて田地となっている大中の湖南遺跡の周辺ですが、現在この地域でただ一つ残された西の湖と同様に、周辺に水辺を好む樹木などが自生し、きれいな水を湛える自然豊かな場所であったと想像できます。

田中咲子
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