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新近江名所図会

近江名所圖会 第269回 過去と現在をつなぐもの-巻数板と祈祷板-

彦根市
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正月行事の勧請吊については、すでに第181回の新近江名所圖会で紹介されています。その中でその起源が鎌倉時代頃にある点が述べられています。応永十四年(1407年)成立の説話集『三国伝記(さんごくでんき)』に石山寺の如意観音は、正月八日に仁王経を読み灌頂を吊し、卒塔婆を立てて信仰すれば、七難即滅、七福即生すると教えたという現在の勧請吊に関連する伝承が記されています。
しかしながら、実際の遺跡の発掘では、勧請吊りを遺構として見つけることは困難です。しかし、近年、鎌倉時代ごろからこの勧請吊りがあった可能性を証明するような遺物が彦根市松原内湖遺跡(おうみ文化財通信 vol.22 2015 Winter参照)、同市賀田山遺跡(おうみ文化財通信 vol.33 2017 Autum参照)で見つかっています。これらは、巻数板(かんじょういた)と呼ばれ、全国で2例目と3例目となる発見です。これらの2例とすでに発見されている石川県金沢市堅田B遺跡出土のものは、いずれも書かれている内容は違います。松原内湖遺跡の巻数板は元徳三年(1331年)正月八日に行われた修正会(しゅうしょうえ)の内容が書かれており、賀田山遺跡のものは神仏の名前のみが書かれています。
こうした巻数板と同様な祈祷板は現在も勧請吊りが行われている湖東・湖南地域でも認められます。発掘品については、現在に伝統の残っていない彦根市域ばかりであることは注目されます。
県内の勧請縄について、カラー写真を用いて紹介した本も出版されており(西村泰郎2013)、現在の勧請縄に吊るされる祈祷板についても多く掲載されています。こうした、祈祷板と出土した巻数板の文言、内容には似ていたりしているものも有り、これらを比較することで、歴史的な繋がりなどが見えてくることが期待できます。こういった点からこれは過去と現在をつなぐ重要な遺物であるといえます。

中村健二

【おすすめPoint】
松原内湖遺跡や賀田山遺跡は、すでに見ることできませんが、県内各地に残る勧請吊りは見ることができます。毎年、新年に新しい縄や祈祷板等が設置されますので、今なら、いろいろな場所の祈祷板を見ることができます。
東近江市柴原南町玉緒神社付近に設置された勧請縄と祈祷板(写真1)十二仏が書かれた板(写真2)は集落の入り口に設置されたものです。十二仏が書かれた板は松原内湖遺跡の巻数板に書かれた卒塔婆12本と時代を超えて繋がりがあるかもしれません。また、集落の入り口ではなく、神社の中に勧請縄と祈祷板設置された東近江市蛇溝町長緒神社(写真3)などがあります。他にも各地にありますので、みなさんで探されてはいかがですか。

【周辺のおすすめ情報】
7世紀から8世紀にかけての壺焼谷遺跡の須恵器窯跡が、布引運動公園の一角に遺跡ゾーンとして保存されており、柴原南町の勧請縄と祈祷板から徒歩圏内です。
アクセス
【公共交通機関】
柴原南町の勧請縄と祈祷板は近江鉄道長谷野駅から東南に1.9km(徒歩約23分)の場所にあります。また蛇溝町長緒神社は近江鉄道長谷野駅より西に約0.22km(徒歩約2分)の場所にあります。

西村泰郎2013『勧請縄 -個性豊かな村境の魔よけ-』 サンライズ出版

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