記事を探す

新近江名所図会

近江名所圖会 第197回 菅山寺を訪ねる―長浜市余呉町坂口

長浜市余呉町
写真1 菅山寺参道と近江天満宮の鳥居
写真1 菅山寺参道と近江天満宮の鳥居

旧北国街道を行く
JR北陸本線木之本駅を降りて東へ400約m歩くと、旧北国街道と旧北国脇往還の合流地点に出ます。北国脇往還は、賤ヶ岳の戦いのさいに豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)が岐阜からこの道を通って一気に戦場まで帰り着いたという「美濃大返し」で有名な街道です。木之本で北国街道と合流し、越前今庄の方に続いて行きます。木之本の地には木之本地蔵で有名な浄信寺があります。浄信寺は、寺伝によれば7世紀後半に難波の地に建立された金光寺の地蔵尊を木之本の地に移したことがこの寺の始まりとされています。浄信寺から北へ北国街道を進みます。北陸自動車道を潜って暫く行くと国道365号と合流しますが、その少し先に右に分かれる旧道があるので、そちらを歩きましょう。

写真2 本堂
写真2 本堂

この旧道は坂口という集落を通ります。浄信寺から3㎞ほど歩くと、坂口集落のやや北寄りに位置する菅山寺の石碑が道の脇に見えてきます。ここが菅山寺の参道です(写真1)。近江天満宮の赤い鳥居をくぐって、ひたすら山道を登って行くと、約1時間で菅山寺に到着します。最近では、赤子山スキー場入り口のウッディパル余呉から車で山頂まで登り、そこから下ってくるコースもありますが、こちらも急な坂道が続きかなり息が切れます。

写真3 鐘楼
写真3 鐘楼

菅山寺は、かつては三院四十九坊を誇る寺院でしたが、今はかなり寂れた山中の寺院です。現存する建造物は、元禄5(1692)年建立の本堂(写真2)、建治3(1277)年に作られた梵鐘(国重要文化財)が残る鐘楼(写真3)、両側の塀が消失した山門、壁の一部が壊れて中が見える状態になっている経蔵(写真4)です。経蔵の中にはかつて教典(国重要文化財)7000巻が納められていましたが、そのうちの5714巻は江戸時代に芝の増上寺に移管されています。

写真4 経蔵
写真4 経蔵

おすすめpoint
山門脇の二本のケヤキは一見の価値があります(写真5)。向かって左側が樹高15m、幹周り6.2m、右側が樹高20m、幹周り5.8mを測り、樹齢は1000年余といわれています。左側のケヤキは県の天然記念物に指定されています。「菅公お手植えのケヤキ」とも伝えられ、寺名も菅原道真が幼少の頃にこの寺で勉学し、後にこの寺を盛りたてたことから菅山寺と名付けられたと言われています。ケヤキの前に立つと、その存在感に圧倒され、しばし言葉が出ませんでした。

写真5 山門と大ケヤキ
写真5 山門と大ケヤキ

周辺のおすすめ情報
坂口集落の赤い鳥居の少し南側に「菊水飴」を製造販売している菊水飴本舗があります(写真6)。創業は江戸時代で約350年の歴史があります。店の由来によれば、参勤交代の途中の福井藩主 松平光通公が腹痛を起こした際、この飴を嘗めて回復したという話が残り、それ以来福井藩の「御用飴屋」として商いを営んできたことや、醍醐寺三宝院第83代高賢座主がこの飴を褒め、菊の紋の暖簾と和歌を授けたことから、「菊水飴」と呼ばれるようになったとのことです。
店舗は現在は瓦葺きですが、昭和36(1961)年の室戸台風で倒れた木が当たったために建て替えられるまでは、茅葺き屋根の家でした。店内には建て替え前の古い写真が飾ってあります。菊水飴は、砂糖を使わずデンプンと麦芽から生成される無添加の食品で滋養に富んだ食べものです。自然の上品な甘さとさっぱりとした後味が特徴のとっても美味しい飴で、水飴と砂糖を加えて固まらせた固形飴などがあります。飴の説明をしてくださった店の方の優しい笑顔とともに、とっても印象に残る飴です。

写真6 菊水飴本舗
写真6 菊水飴本舗

アクセス
公共交通:JR木之本駅からバス10分、「坂口」バス停から徒歩約60分
車:木之本I.C.から赤子山林道経由約25分、車止めから徒歩約20分

(三宅 弘)

Page Top