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調査員のおすすめの逸品 No.44 失われた景観を見る-二万分の一地形図-

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昭和時代後期よりはじまった大規模な土地開発によって、国土の景観は大きく変容してしまいました。発掘調査でみつけた情報も、変容した景観では整合できずよくわからないこともあります。そのようなときに参考となるのが、明治時代に測量された「二万分の一地形図」とよばれる地図です。

図1 現在の地図(右)・二万分の1地図(左)
図1 現在の地図(右)・二万分の1地図(左)

二万分の一地形図とは、日本陸軍参謀本部が国防上の見地から国土を把握するために、明治17年頃より作成をはじめた地形図のことです。
初期の地形図は、三角測量の成果を待たずにつくられたため、緯度経度の表示がありませんが(これを西日本では「仮製図」、東日本では「迅速図」と呼んで区別します)、まもなく経緯線で分割した切図である「正式二万分の一地形図」に移行しました。しかし国土すべてを2万分の1縮尺で測量するには、膨大な時間と予算が必要になることから、明治23年より五万分の一縮尺の地形図作製に移行し、二万分の一地形図は都市部や要塞部などの地域に限定して作成されるようになります。しかし、明治末年になると二万五千分の一地形図に改正されて姿を消しました。

図2-1:二万分の一(伊吹山麓)
図2-1:二万分の一(伊吹山麓)

二万分の一地形図の特徴は、明治時代に測量が行われた地形図であることから、現在では失われた景観を読み取ることができることです。図1の地図は、現在と明治時代の膳所城の部分です。現在の地図(左)では都市化によって膳所城の姿がほぼ失われていますが、明治時代の地形図では、本丸・二の丸をはじめとする主郭部や堀など明瞭に記録されていることがわかります。

図2-2:現在の地図(伊吹山麓)
図2-2:現在の地図(伊吹山麓)

その一方で、測量技術の限界や担当者の測量精度の違いによって、かならずしも正確に表現されていない部分も存在します。特に山岳部や扇状地は模式的に測量されるため現実とは異なる地形になる場合もあります。図2-1と図2-2の地図は、伊吹山山麓の地図を比較したものですが、山麓部の等高線(A)や、小山(B)の形状に違いのあることがわかります。
このように、「二万分の一地形図」は細部に間違いがあるものの、都市化やほ場整備で著しく変容してしまったかつての景観を知る資料として、今もなお高い史料価値があるのです。

(神保 忠宏)

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