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新近江名所図会

新近江名所圖会 第31回 いまも息づく忍者の里-甲賀武家屋敷-

甲賀市
甲賀市甲賀町滝・田堵野
大原家
大原家

甲賀忍者で有名な甲賀市。しかし「忍者」と呼ばれた人々は、普段から「忍者」だった訳ではなく、本来は甲賀武士と呼ばれる地侍でした。
彼ら甲賀武士は、戦国時代には、近江守護佐々木六角氏の元で自治を保証されつつ、有事の際に六角氏を助けて戦いました。長享元年(1487年)の「鈎の陣」での活躍によって全国にその名を知らしめた甲賀武士達は、特に戦功のあった者たちが「甲賀五十三家」「甲賀二十一家」などと呼ばれ、織田信長の元でも活躍します。しかし、豊臣秀吉によって多くが取りつぶされて帰農し、江戸時代以後はかつての栄華を取り戻すことはありませんでした。
甲賀の地には、今も彼ら甲賀武士達の屋敷が残されています。武士ではなくなったものの、職種を変えて時代を乗り越えてきた「甲賀古士」達の営みを偲ばせる、趣ある屋敷です。

おすすめPoint

滝の街並み
滝の街並み

今も見ることのできる甲賀武家屋敷のうち、初めて見る人の多くが驚くのが、JR草津線甲賀駅から南南東の田堵野にある大原邸です。ここはまず何よりも、江戸時代に編纂された三大忍術秘伝書の一つである甲賀市指定文化財『萬川集海』が伝えられていることで有名です。さらに、邸宅が、高さ2m以上の立派な土塁でぐるりと囲まれ、堀も一部残っており、外観も必見です。
まさに戦国時代の甲賀武士の居館の姿を私たちにいきいきと伝えてくれています。土塁は現在も丁寧に手入れされ、子孫の方達が大切にしておられることがよくわかります。
甲賀駅の西へ進むと滝という集落があります。ここは甲賀五十三家の一つ、滝氏(多喜氏)の本拠地であり、甲賀武士達が活躍した時代を偲ばせる家並みが残されています。特に、藤岡家の門は甲賀市甲南町にある望月家から移設された、堂々たる造りの大変立派な建物です。

藤岡家の門
藤岡家の門

周辺のおすすめ情報

忍術屋敷
忍術屋敷

藤岡家の門が本来あった望月家は、現在では「甲賀流忍術屋敷」として公開されています(入館料は大人600円)。JR草津線甲南駅の南、竜法師の集落にあり、元禄時代の建物といわれています。外観は普通の茅葺き平屋建てですが、実は内部は3階まであり、さらに落とし穴やどんでん返し、隠し梯子なども備えています。
望月家も甲賀五十三家の一つとして活躍した一族なので、この造りはまさに「忍者屋敷」!と言えるように思えます。けれど、これは江戸時代の建物。すでに忍者が活躍の場を失ってからのものなのに、なぜこんな造りなのでしょう?
実は、望月家は江戸時代以降、「甲賀忍者」として活動していた際の知識を元に薬業を生業として栄えました。甲賀の薬は富山の薬とともに全国に広まります。その薬の調合法などの企業秘密を盗みにくる者を撃退するために、このような屋敷を建てたのではないかと言われています。「甲賀忍者」の知識や技術を、産業スパイ対策に使っていたかもしれないのです。
他にも、建物が残っているわけではありませんが、信長狙撃犯として知られる杉谷善住坊ゆかりの地である杉谷屋敷跡も甲南町にあります。さらに、甲賀駅~油日駅周辺には、大原氏の氏神を祀っている大鳥神社や甲賀五十三家の氏神を祀る油日神社、甲賀忍術村忍術博物館、織田家臣団の一人滝川一益の居城である滝川城跡など、見所満載です。

アクセス

【公共交通機関】JR草津線甲賀駅下車、徒歩
駅の裏(南西側)に回り、一端北西に進んでから滝の集落入り口で南西へ進むと、藤岡邸などの滝の武家屋敷。
甲賀駅の裏から南南東に進み、川を渡ったところで突き当たりを川沿いに道なりに進むと大原邸。
【自家用車】新名神高速道路甲南IC・甲賀土山ICから20分、駐車場無

※いずれも、現在も子孫の方達が住んでおられます。迷惑をおかけすることのないように気をつけていただきますよう、くれぐれもお願いいたします。


より大きな地図で 新近江名所図絵 第1回~第50回 を表示

(阿刀 弘史)

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