記事を探す

オススメの逸品

調査員のおすすめの逸品№256 大中の湖南遺跡出土の独鈷石

近江八幡市

大中の湖南遺跡(近江八幡市・東近江市)は、安土城跡、観音寺城跡、瓢簞山古墳とともに近江風土記の丘を構成する国指定史跡の1つです。昭和39年(1964年)に大中の湖の干拓工事中に発見され、滋賀県教育委員会が昭和41年まで発掘調査を実施しました。調査の結果、矢板や杭を打ち込んで区画した水田や水路の跡が確認されたほか、鍬や鋤などの木製農具が多数出土し、それらの未製品も豊富に出土したことから、弥生時代の水田稲作農耕の様子を具体的に知ることができる初期農業集落遺跡として、昭和48年に史跡指定されました。遺跡の盛期は弥生時代中期前半(今から約2,300年前頃)です。

写真1近江八幡市大中の湖南遺跡出土独鈷石(滋賀県立安土城考古博物館蔵)
写真1近江八幡市大中の湖南遺跡出土独鈷石(滋賀県立安土城考古博物館蔵)

今回紹介するオススメの逸品は、この大中の湖南遺跡から出土した独鈷石(どっこいし)です。独鈷石とは、仏具である独鈷杵を連想させる形状から名付けられた石器で、東日本の縄文時代後期から晩期にかけての遺跡から出土する機会が多いものです。使用方法は明確ではありませんが、両端を斧の刃のような形に磨き上げた例が多く、中央に柄を取り付けて斧のような使い方をしたものと想定されています。このため、両頭石斧(りょうとうせきふ)と呼ばれることもあります。

写真2長浜市山階町出土独鈷石[両頭石斧](滋賀県立琵琶湖文化館蔵)
写真2長浜市山階町出土独鈷石[両頭石斧](滋賀県立琵琶湖文化館蔵)

大中の湖南遺跡出土の独鈷石は、発掘調査概要報告書には掲載されておらず、残念ながら詳しい出土地点などは不明です。ツルハシのように両端が尖り気味の形状ですが、細身であり、斧のような用途は想定しにくい印象です。表面を磨いて仕上げた痕跡が観察されないのは、表面が劣化して剥落したためでしょうか。全長約19.5cmです。
一般には独鈷石は、縄文時代の祭祀具と考えられている遺物ですので、弥生時代の集落遺跡である大中の湖南遺跡で出土していることに違和感を覚える方が多いかもしれません。滋賀県における独鈷石の出土例は、以前に出土資料を集成したところでは、大中の湖南遺跡のものを含めて7遺跡8例が確認できました。江戸時代に出土した長浜市山階町の事例をはじめとして、遺構から出土した例が少なく、帰属時期がはっきりしないものが多いのですが、高島市針江浜遺跡では弥生時代前期の遺構面で多くの土器に混じって出土しています。大中の湖南遺跡からは縄文時代中期から晩期の土器も少量ながら出土しているので、縄文時代の遺物である可能性も否定はできませんが、私は弥生時代の大中ムラで使用されたと考えても不自然ではないと考えています。

写真3大中の湖南遺跡 獣骨出土状況
写真3大中の湖南遺跡 獣骨出土状況

弥生時代の農耕集落である大中の湖南遺跡ですが、小規模な貝塚も複数発掘されており、貝塚からは貝殻のほかに動物や魚の骨なども多数出土しています。縄文文化の伝統を引き継ぐ独鈷石は、縄文時代以来の狩猟・漁労活動と、米作りなどの新しい技術を複合させて生活していた弥生人の営みを私たちに示唆してくれる重要な遺物だと思います。(田井中洋介)

《参考文献》
・滋賀県教育委員会(1967)『大中の湖南遺跡調査概要』
・滋賀県立安土城考古博物館(2015)『第51回企画展 よみがえる弥生のムラ 大中の湖南遺跡 発掘五〇年』
・小竹森直子(1995)「館蔵品資料調査報告 大中の湖南遺跡出土の石器類について」『紀要』第3号 滋賀県立安土城考古博物館
・田井中洋介(1997)「弥生社会からみた独鈷石」『紀要』第10号 (財)滋賀県文化財保護協会

Page Top