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調査員のおすすめの逸品№374 お給料の2日分?/矢倉口遺跡の井戸にお供えされた銭貨

草津市

 今回は、かつて安土城考古博物館で展示する機会をいただいた資料のうち、矢倉(やぐら)口(やぐらぐち)(ぐち)遺跡から出土した銭貨について紹介したいと思います。

 矢倉口遺跡は現在の草津市に所在しています。今から40年ほど前に大規模な発掘調査が実施され、古代の集落跡が見つかっています。集落の中では水を得るための井戸が何基か掘られていたのですが、そのうちの1基で壺1個と銭貨20枚が見つかりました。両者は完全な形で、しかも井戸底に粘土を敷いた上に据えられていました。

 しかも展示しているときに観察したのですが、銭貨はいずれも(い)あがりが良く、文字をはっきり読み取ることができます。このような出土状況や資料の特徴から、使えなくなったゴミをポイ捨てしたものとは考えにくいと思います。おそらくは井戸を掘ったときにおまじないの一環として、丁寧にお供えされたのでしょう。

画像1 矢倉口遺跡 銭貨の出土位置(滋賀県教育委員会・滋賀県文化財保護協会1987『矢倉口遺跡発掘調査報告書』に加筆)

 さて、銭貨は20枚見つかっていますが、銭文に注目すると和同開珎(わどうかいちん)((しょ)(ちゅう):708年)、(まん)年通寳(ねんつうほう)(初鋳:760年)、神功開寳(じんぐうかいほう)(初鋳:765年)に分類することができます。これらは古代の国家によって造られた、いわゆる「(こう)(ちょう)12(せん)」と呼ばれる銭貨うちの3種です。しかもそれぞれ出土している枚数が異なっていて、和同開珎が1枚、萬年通寳が6枚、神功開寳が13枚でした。古代でも、新しいお金が発行されると市場に流通するお金も徐々に更新されましたから、このような組み合わせはお供えされた当時のお財布事情をある程度反映しているのだと思います。現代で例えると、北里(きたざと)柴三郎(しばさぶろう)の新札を一番多く持っていて、その次に野口(のぐち)英世(ひでよ)の旧札があり、より旧い夏目漱(なつめそう)(せき)のお札を少しだけ持っている、といったところでしょうか。

画像2 矢倉口遺跡 井戸から出土した銭貨(展示準備状況)

 さらに見つかった銭貨がどれくらいの価値だったかについても少し考えてみたいと思います。もちろん、古代と現代では取引されている物品も全く異なりますし、流通しているお金の量も違いますから、あくまで目安程度に見てください。

 当時のお金の価値を知ることができる資料は少ないのですが、大津市にある(いし)山寺(やまでら)の建設工事に関する文書(造石山寺所文書)からその一端を知ることができます。文書の分析から、760年代に工事に関わっていた労働者の給料が明らかにされていて、日当は10~15文だったようです。またお米を購入した記録も2文で約1合だったとわかっています。

 矢倉口遺跡で見つかったお金が1枚1文として使われていたのであれば、銭貨20枚はお米約10合の代金、もしくは労働者2~1.3日分の給料だったわけです。皆さんも神社やお祭りなどでお金をお供えする機会があると思いますが、この金額は多いと感じるでしょうか。それとも少ないと感じるでしょうか。

(佐藤佑樹:滋賀県立安土城考古博物館学芸課)

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