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調査員のおすすめの逸品 No.23 文字の書かれた下駄が出土? ―最古の牒木簡―
「下駄が出たのかな?」、溝の掘削中に長さ27cm、幅12㎝、厚さ2㎝の板が出土しました。よく見るとなにやら文字らしきものが書かれてあります。「これはもしかしたら古代の木簡ではなかろうか、でも、木簡といえば、幅5㎝、厚さ2㎜ほどの薄い板に文字が書かれたものなのに?!」と思いつつ取上げました。平成3年10月22日の秋晴れの日のことでした。実はこの下駄のような板が日本最古の記録木簡として「滋賀県なんでも1番」にも登録された、野洲市(旧中主町)湯ノ部遺跡出土の「湯ノ部牒木簡」(滋賀県指定文化財)です。
この木簡が下駄のように厚い理由は、文字を表裏だけでなく側面にも記すためです。側面に文字があることによって本の背文字の役割を果たし、棚に並んでいてもすぐ判ります。木簡は「牒」で始まり「牒」で終わるため牒(ちょう)木簡と呼ばれるようになりました。約70字の文字で記載された内容は側面に「丙子年(676)11月この文を記す」表から裏には「玄逸なる人物が父の官職によりしかるべき官位を認定されるはずであるが、今だに昇級の連絡がない、早々に手続きをしてほしい」と上の役所へ直訴した上申書です。丙子年(676)の紀年名木簡は当時最も古い出土例で、木簡の記録は日本書紀にも関連する重大な内容を含むことから、密かに慎重に古代史の諸先生や木簡研究者に調査を依頼していたところ、貴重な木簡が見つかったとの噂が広がり、出土してから2ヶ月後に行った記者発表では、各紙1面トップ記事で、NHKの夜7時のニュースや久米宏氏の報道番組でも取上げられ「今も昔も出世欲は変わらない」とコメントされていました。
その後、この木簡の解釈が古代の官僚制度など難しい問題を含むため、学会で取上げられる機会は多くはありませんでした。当時、木簡を解読された山尾幸久先生は「この木簡は10年後、20年後に評価される」と言われましたが、予言どおり最近少しずつ取上げられています。それは近年、古代韓国の百済や新羅の都である扶余・慶州などから6世紀代からの木簡がいくつか発見されてきたことと関連します。新羅の都であった慶州の月城の濠である垓字から見つかった木簡の1つは7世紀前半の木簡で、長さ約19㎝、幅1.2㎝の角材で4面に文字が書かれています。この月城垓字木簡にも「牒」の文字が墨書されてあり、湯ノ部牒木簡の「牒」や多面に文字を墨書する点が類似しています。
今、古代韓国の木簡の出土例が増加したことで、日本~韓国~中国を結ぶ文書形式や律令制度研究も進んでいます。
「湯ノ部牒木簡」は少しずつでありますが、日本の古代史を解明する史料として学会の片隅に息づいています。いずれ日本の古代史を覆すことになるかもしれない逸品です。
(濱修)
《参考文献》
滋賀県教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会『湯ノ部遺跡発掘調査報告書Ⅰ』1995