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調査員のおすすめの逸品 №321 安土町内に「幕府」があった!将軍足利義晴が描かせた華麗な絵巻―「桑実寺縁起絵巻」―
「安土に幕府があった!」と聞けば、歴史にちょっと詳しい人は、「信長は天下人だから、安土城の信長の政権を『安土幕府』と呼ぶ」説を思い浮かべるかも知れません。しかしここでお話ししたいのは、それよりさらに45年前の出来事です。この頃、現役の室町将軍である義晴が足かけ4年も安土町内の桑実寺(くわのみでら)に身を寄せ、義晴を取り巻く幕府の組織もここで機能していたのです。
その動かぬ証拠が、重要文化財に指定されている「桑実寺縁起」の絵巻なのです。(写真1)これは、六角氏の居城観音寺城のある繖山(きぬがさやま)の中腹に伽藍を構える、天台宗の古刹桑実寺の由緒を、華麗な絵と詞書(ことばがき)で綴った作品です。絵巻の縦は約35㎝、横は上巻が14m弱、下巻が10m弱の長大なものです。縁起の内容や美術的な価値などについては、当協会ホームページの滋賀県文化財教室シリーズ№227号『桑実寺縁起絵巻』をご覧下さい。ここでは、どういう経緯で将軍が桑実寺にやってきて、絵巻が書かれたのかを紹介しましょう。
戦国時代のはじめには、足利将軍家が10代将軍義稙(よしたね)(義材(よしき)・義尹(よしただ))と11代将軍義澄(よしずみ)の系統に分かれて将軍職とその実権を奪い合い、将軍を支える管領(かんれい)(※1)も務める有力守護家である細川氏もまた、複数の派閥に分かれて争い、両者が他の守護やその家臣たち、各宗教勢力を巻き込んで離合集散を繰り返していました。近江守護で南近江を支配する六角氏も、その勢力の一つです。
縁起絵巻の制作を発願(ほつがん)した12代将軍義晴は、義澄の子です。管領細川政元(まさもと)が、クーデターを起こして将軍義稙を逐い、立てた将軍が義澄でした。しかし、その後政元が暗殺されると、義稙は周防(山口県)の大内義興(おおうちよしおき)や、政元の養子の一人である細川高国(たかくに)を従えて、京都に攻め上ってきます。逃れた義澄を庇護したのが、近江の六角高頼(たかより)でした。高頼は、重臣伊庭貞隆(いばさだたか)の家臣である九里(くのり)氏の居城の岡山城(近江八幡市)に、義澄を匿います。義晴はその岡山城で生を受けました。しかしまもなく義澄は亡くなり、義晴も播磨(兵庫県)に逃れます。京都ではしばらく、義稙と高国の時代に入ります。
しかし9年後、高国のライバル細川澄元(すみもと)(政元のもう一人の養子)が阿波(徳島県)から攻め上ってきます。近江に逃れた高国は、六角定頼(さだより)(高頼の子)の協力ですぐに京都を奪還し、自分を見捨てた義稙と離れ、義晴を播磨から呼び戻して新しい将軍に据えたのです。その安定もわずか10年ほど。高国家の内紛が元で、高国は討たれてしまいます。後ろ楯をなくした義晴は、高国と友好関係にあった定頼を頼って、とうとう観音寺城のお膝元にある桑実寺にやってきました。享禄4年(1531)のことでした。
桑実寺縁起絵巻巻末には、天文元年(1532)8月17日に、朝廷の絵所預(えどころあずかり)として活躍した大和絵師の土佐光茂(とさみつもち)が描き、後奈良天皇とその弟の尊鎮法親王(そんちんほっしんのう)、文化人として名高かった三条西実隆(さんじょうにしさねたか)の三人が詞書(ことばがき)をしたためて完成させた絵巻を、桑実寺本尊の薬師如来の帳中に奉納した旨が記されています。(写真2)ここまで詳細に、制作体制や作者・年代などがわかる作品は、そう多くはありません。この時に将軍が桑実寺にいたからこそ、生まれた名品なのです。
桑實寺(※2)に伝えられたこの絵巻は、現在は京都国立博物館に寄託されています。少なくとも、今年開館30周年を迎えた滋賀県立安土城考古博物館では、開館以来展示されたことはありません。それ以前の記録が定かではないので詳しくはわかりませんが、少なくとも30年以上は、安土で展示されたことはないのです。
令和4年4月23日から6月5日まで滋賀県立安土城考古博物館で開催される春季特別展「戦国時代の近江・京都-六角氏だってすごかった!!-」で、30年以上ぶりに桑実寺縁起が里帰りします。奇しくも同じ年、12年に一度の、桑實寺本尊の秘仏薬師如来のご開帳が行われます(春季4月8日~5月10日・秋季11月1日~11月30日)。秘仏と絵巻の両方を味わいに、この春はぜひ安土にお越し下さい。特別展では、ここに登場した人物たちの肖像画や関係資料も、多数展示されています。
※1 管領(かんれい):室町幕府において将軍に次ぐ最高の役職。将軍を補佐して幕政を統轄。幕臣筆頭として足利将軍家の重要な儀式や行事を執り行った。
※2 現在の宗教法人桑實寺の名称は旧字が正しいので、そのように表記しています。
*展覧会の詳しい情報は安土城考古博物館のHPをご覧ください。
*桑實寺のご紹介は、当HP内「新近江名所圖繪 第355回 やっと拝観できた山上の本堂-近江八幡市桑実寺-」をご参照下さい。
(高木叙子)