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調査員のおすすめの逸品 №322 マグロ ―標本物語②―

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写真1 マグロを運ぶ男
写真1 マグロを運ぶ男

年の瀬が迫る頃、ブーメラン状の黒い物体をリュックから覗かせたまま、帰路を急ぐ一人の男がいた(写真1)。
家族や親戚が集い、彩られたモミの木の下で催される宴の場で食されるべく、客寄せとして寿司屋の店頭に飾られたクロマグロの尾と頭を持ち帰るために…。
ディスプレイ用のマグロを前に、一言、「頭と尻尾はいくらですか?」彼の眼には、赤々とした切り身は映らない。
とうぜん、切り身を売るつもりで立っている店員は、マグロの大きな目玉以上に目を丸くする。暫くした後、一言、「これは売り物ではない。だけど、今日廃棄する予定だし、欲しかったらやるよ!」こうして、白い長靴を履き、紺に白字の前掛けをしたサンタから遅めのプレゼントを貰い、マグロは男の家に連れ込まれた(写真2)。

写真2 家に連れ込まれたマグロ
写真2 家に連れ込まれたマグロ

家につくなり、マグロは、ツリーの飾りと似た鈍い金色の鍋に放り込まれるが、彼の身体は収まりきらない(写真3)。困ったものだ、これでは火が通りにくいではないか。一度下茹でした後、ホホの肉を削ぎ、スリムになったホネを再び鍋の中へといれ、一晩、臭み消しの生姜と一緒に火にかける。高級料亭の裏口から漂う、煮魚の旨そうな香りが部屋中に広がる。しかし、男が香りを楽しんでいられたのはこの時までだった。黒潮の流れの中で鍛え蓄えられた油は骨まで染み込み、簡単には抜けない。何度かの洗浄作業を繰り返した後、骨標本となったマグロは、幼少の頃に落書きに使っていたクレヨンのような匂いがする(写真4)。

写真3 鍋に入りきらないマグロ
写真3 鍋に入りきらないマグロ

日本人が好きな寿司ネタ一位はマグロであるらしいが、マグロを趣向するのはいつから始まったのか?
マグロの骨は、縄文時代早期初頭の神奈川県夏島貝塚を最古として、複数の縄文時代の遺跡から出土している。他の魚の骨と比べて大きく、目につきやすいことから、昔からその存在が報告されてきた。近年、発掘調査がなされた岩手県大船渡湾に位置する内田貝塚では、多くのマグロ属の骨が出土していることから、縄文人たちがマグロを捕獲する技術をもっていたこと、並びに、豪華な食事情を伺うことができる。
さらに、海に面していない滋賀県でも、米原市に所在する入江内湖遺跡から全長1.5m以上の個体に由来するマグロの椎骨が見つかっている。この骨によって若狭湾ないし伊勢湾の海岸地域の人々との交流が裏付けられている。淡海に住む縄文人も海の幸を食べたのだろうか。ワサビも醤油*も無かっただろう時代に、マグロ刺は食べられていたのか。はたまた、マグロステーキを豪快にかぶりつく縄文人を想像できるかもしれない。私たち日本人は縄文時代の頃にマグロの味を覚え、マグロを趣向するDNAが刻まれたのかもしれない。

*現在のところ、ワサビに関する最古の記録は飛鳥時代である。一方、縄文時代に魚醬(ぎょしょう)を作成していたとする説もあるが、その確たる証拠は得られていない。

写真4 マグロの標本
写真4 マグロの標本

《参考文献》
須原拓編 2019 『内田貝塚発掘報告書』 岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター
松崎哲也 2019 「椎骨の形態比較によるマグロ属同定への試み」『動物考古学』第36号 日本動物考古学会
財団法人滋賀県文化財保護協会 2006 『丸木舟の時代-びわ湖と古代人-」

(佐藤巧庸)

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