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(1)搬入品

オススメの逸品

調査員のおすすめの逸品 No.128 動く土器・まねる土器-草津市烏丸崎遺跡出土の弥生時代前期の土器-

草津市

タイトルを見て、「土器が勝手に動くの! ましてやまねるって何?」と思われるかもしれませんが、動くんです。そして、まねるんです。その真意を、烏丸崎遺跡から出土した弥生時代前期の土器でお話ししましょう。

(1)搬入品
(1)搬入品

写真の土器は、新しい生産基盤である米作りと新しい生活様式である弥生文化が琵琶湖周辺に波及した頃の、「遠賀川系土器」と呼ばれる壺形土器です。どちらも高さ25cm前後の小振りな土器で、シンプルながら洗練されたスタイルが、弥生土器研究者にとってはとても魅力的です。さて、この2点の壷形土器ですが、実は似て非なるものなのです。

在地産
(2)在地産

写真1のチョコレート色をした土器。胎土には黒く輝く角閃石(かくせんせき)が多く含まれ、全体的に緻密で硬質な感じがします。一方、写真2の白っぽい土器は、やや大きめの長石・石英やチャートの粒が多く含まれています。つまり、土器を作るための土が違うということです。その成分の特徴から、チョコレート色の土器は生駒西麓地域(現在の大阪府東大阪市~八尾市のあたり)で作られた土器、白っぽい土器は烏丸崎遺跡周辺で作られた土器であることがわかります。
では、生駒西麓産の土器が、どうして烏丸崎遺跡にあるのでしょうか? 土器が勝手に動くことは不可能です。「土器が動く」とは、実際には「人が動く」ということになります。このようなよその地域で作られた土器を、「搬入(はんにゅう)土器」と呼びます。この搬入土器は、烏丸崎遺跡での米作りが、生駒西麓つまり河内潟の東で米作りを習得した人々によって伝えられたことを物語っています。
一方、烏丸崎遺跡産の土器は、新たな技術・文化に触れた地元の人々が、搬入土器をまねて作ったものです。つまり、搬入土器をモデルとしたコピーです。このようにして、文化・技術・生活様式などは、広がっていくことになります。この「モノマネ土器」(ちなみに、これは学術用語ではありません)の存在は、新たな文化や技術に触れた地元の人々の反応を知ることができる意味でも、とても興味深いものです。烏丸崎遺跡では、このようにすぐに同じような土器を作り始める反面、縄文土器の伝統を引き継いだ土器もあります。この土器は、弥生土器の要素も取り入れた「変容土器」と呼ばれるものです。つまり、アレンジした土器です。「搬入土器」「モノマネ土器」「変容土器」が同時に存在していたことは、烏丸崎遺跡で米作りを始めた地元の人々が、新しい人・モノ・情報を柔軟に受け入れ、すぐに自分達のものにしていたことを示しています。
このように、今回紹介した2点の土器は、単に時代や生活様式の変化を物語るだけではなく、これらを作り使っていた人々の、新たなあるいは異なる文化や技術への対応のあり方をも物語るものであることを、改めて教えてくれる逸品なのです。

(小竹森 直子)

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