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調査員のおすすめの逸品 No.3 トラウマの無文銀銭

大津市
唐橋遺跡出土の無文銀銭
唐橋遺跡出土の無文銀銭

1987年の夏、まだ若かった筆者(今でも気持ちだけは若い)は、瀬田唐橋の下流約80m付近の作業台船にいました。当時私は、琵琶湖総合開発に伴う埋蔵文化財発掘調査が本格化し始めた頃で、琵琶湖の中での工事に先立ち、遺跡の状況を把握するための潜水試掘調査を次々とこなしていました。

唐橋遺跡の水中での実測状況
唐橋遺跡の水中での実測状況

潜水試掘調査とは、対象となる川底や湖底に試掘坑を設定し、ダイバーが掘削した土砂を作業台船上で洗浄を行い、そこに含まれている遺物を採取します。次に、私が潜水し(ちなみに私は全く泳げないのですが・・・)、試掘坑の断面観察と図化作業を行う調査です。調査の結果、大量の岩石の堆積が見つかり、この岩石群を掘削する際に奈良時代前後の遺物が次々と見つかりました。  このなかに、灰色の小さな円盤が一枚含まれていました。「はて、なんじゃいな、これは?」「メダルでも紛れ込んだのかいな?」と思いつつも回収し、埋蔵文化財センターに持ち帰り乾燥させていました。その時の出来事です。出土した遺物群をなにげに見ていたH技師がこの円盤を持って「これ無文銀銭ちゃうの!!」と大声で叫ぶのが聞こえました。「???何それ?無文銀銭?」、恥ずかしながら私それまで「無文銀銭」なるものの存在を知りませんでした。
それからが大変でした、記者発表、試掘調査から本格調査への切り替え、しかも、矢板囲いによる陸化調査は部分的にしかできないという制約のため、潜水による面調査の実施という前来未聞の発掘調査を行う羽目になってしまいました。
調査の結果はご存じの方も多いと思いますが、壬申の乱の舞台となった7世紀の「勢多橋」の橋脚基礎遺構が2基、これに続く時期の橋脚も多数見つかるという、その年の全国発掘調査ベスト10に入る大発見となりました。
本格調査の結果、この無文銀銭は7世紀の勢多橋の橋脚基礎の中に含まれていたことが明らかとなりました。まさに、勢多橋遺構発見の端緒となった遺物だったのです。
発掘調査終了後、私が調査した橋脚遺構は浚渫工事と共に、全て破壊されてしまいました。当時の私は、調査することに追われ、かつ調査成果に興奮し、この遺跡(文化財)が「消えてしまう」ということを深く考えていませんでした。
その後、人事異動により埋蔵文化財の保存調整に携わるようになり、改めて自分が調査した「唐橋遺跡」を考えたとき、「あの時、『文化財』の価値を少しでも理解していたら、「これを現地で残すための工夫なり主張ができたのではないか」という思いにさいなまされるようになりました。この無文銀銭は、無為に、唐橋遺跡の破壊を許してしまったことへのトラウマであり、同時に、私を埋蔵文化財の保存に駆り立てる原動力でもあるのです。
この無文銀銭は、滋賀県立琵琶湖博物館の常設展示室に展示されています。

(大沼芳幸)

参考資料
『唐橋遺跡』瀬田川浚渫工事関連埋蔵文化財発掘調査報告書Ⅱ 滋賀県教育委員会・公益財団法人滋賀県文化財保護協会1993年

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