記事を探す

オススメの逸品

調査員のおすすめの逸品 №269 堅く焼け締まった縄文土器 ―どうやって焼いたのか?―

大津市

縄文時代の土器は、「野焼き」という、たき火のような、キャンプファイヤーのような、そんな炎の中で焼かれた、というイメージをお持ちの方は多いと思います。歴史の授業でも、そのように習ったかも知れませんし、実際にそれ以外の「土器焼き・焼き方」を想定できるような、縄文時代の遺構なども今のところ見つかっていません。
でも、実は少しだけ気になる土器片があるんです。それは大津市の石山貝塚というところで出土した「入海式土器」と呼ばれる、縄文時代早期後半(およそ6,500年前(yrBP))の縄文土器の欠片です。今回はこの縄文土器片について紹介します。

その前に、この土器が出土した遺跡、石山貝塚について少し見ておきましょう。石山貝塚は、大津市石山に所在する、縄文時代早期の貝塚で、現在は石山寺の駐車場の地下に眠っています。この石山貝塚、昭和15年に発見されて以降、これまでに何度も発掘調査が行われていて、中でも1950・51・54年の計3回にわたって実施された発掘調査の成果が、この貝塚の様子を詳しく知らせてくれます。その詳細は、新近江名所図会(No.10122265)でも紹介していますので、そちらをぜひご覧ください。

写真1:堅く焼け締まった入海式土器片
写真1:堅く焼け締まった入海式土器片

さて、この貝塚で見つかった、貝殻の堆積層の中から出土している土器としては、専門的な言い方をすれば、「茅山下層式」「粕畑式」「上ノ山式」「入海式」「石山式」と呼ばれる土器があります。その中でも、量的には「入海式」が圧倒的に多く、次いで「石山式」が多く見つかっているようです。
実はその最も多い「入海式土器」の中に、今回紹介したい土器片(写真1)があります。

この土器片の特徴のひとつは、器表面を整形・調整する際に、サルボウやハイガイなどの二枚貝を使っていることで、その結果器表面に「条痕文」と呼ばれる文様(模様)が残っています。もう一つの特徴は、その器表面に、粘土紐を貼り付け、その上を貝殻かヘラのような工具で刺突して文様を描いている点です。この特徴は「入海式土器」に共通する特徴で、同様の特徴を持つ土器は、先述したように、石山貝塚では多数見つかっています(写真2~4)。

写真2:石山貝塚出土の入海式土器1
写真2:石山貝塚出土の入海式土器1
写真3:石山貝塚出土の入海式土器2
写真3:石山貝塚出土の入海式土器2
写真4:石山貝塚出土の入海式土器3
写真4:石山貝塚出土の入海式土器3

気になっているのは、その土器の「焼け具合」です。写真では少し分かりづらいのですが、実物で比べると写真1の土器は堅く焼け締まっていて、写真2~4の土器は通常の、いわゆる縄文土器に通有の焼け具合なんです。触ったときの感触も、後者はかすかに温かく、前者はほんのり冷たい印象です。もう少し極端で、大げさな言い方をすれば、写真1の土器は、「素焼きの陶器」のような、窯で焼いた器を触ったときのような、そんな感じに近いようにすら感じます。
もちろん、これらの土器が作られた6,500年前当時、土器を焼くために「窯」を使った事例は、少なくとも日本ではまだ見つかっていません。ですから、ほかの縄文土器と同様に「野焼き」で焼いた可能性は高いのですが、果たして野焼きでここまで堅く焼き締めることが可能なのでしょうか?一般的に、縄文土器(野焼き)は600~800℃前後、陶器(窯焼き)は1,000~1,300℃前後、の焼成温度といわれています。明らかに温度差があります。筆者自身、何度か野焼きで土器を焼いてみましたが、ここまで土器が堅く焼き締まったことは今のところ一度もありません。野焼きで陶器に近い焼け具合を作り出すのは、やはり難しい気がしています。
では果たして、この「入海式土器片」は、当時どのように焼いた・焼かれた土器なのでしょうか?

【参考文献】
○平安学園考古学クラブ編1956『石山貝塚』平安学園。
○鈴木康二2008「琵琶湖周辺における入海式の様相~石山貝塚を中心に~」『入海式をめぐる諸問題』東海縄文研究会。
○滋賀県立安土城考古博物館編2012『【人】【自然】【祈り】共生の原点を探る~縄文人が語るもの~』滋賀県立安土城考古博物館。

(鈴木 康二)

Page Top