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新近江名所図会

新近江名所圖会 第301回 江戸時代の旅行者の足跡をたどる―鳥居本宿―

彦根市

江戸時代に整備された五街道のうち、江戸・日本橋と京・三条大橋を結んだ東海道と中山道は特に主要な街道として知られています。東海道については、「東海道五十三次」の呼称の通り、江戸から京都までの間に53の宿場があったことをご存知の方も多いかと思います。
では、中山道にはいくつの宿場が設けられていたのか。これについては意外とご存知ではない方も多いのではないでしょうか。中山道には69の宿場が設けられていました(中山道六十九次)。滋賀県内には69のうち10の宿場がありましたが、今回はこの中から鳥居本宿(彦根市)についてご紹介したいと思います。
鳥居本宿は江戸から数えて63番目にあたる宿場で、北に番場宿(米原市)、南に高宮宿(彦根市)が位置しています。鳥居本宿は一般に寛永期(1624~1644)に彦根城下と中山道をつなぐために新設されたとされていますが、慶長八年(1603)に幕府が設立を命じたとする伝承も存在し、その設置年代は定かではありません。
近江鉄道・鳥居本駅を降りて、そのまま真っすぐ西へ70mほど歩くと、南北に延びる旧中山道との三叉路に至ります。正面には本陣跡・脇本陣跡が見え、宿場の中心にあたります。この地点から北と南に分けて見どころをご紹介しましょう。

写真1:有川家住宅
写真1:有川家住宅

◆おすすめPoint
まず北側ですが、宿場の北端近く、中山道が北東に屈曲する地点に国指定重要文化財・有川家住宅(写真1)があります。有川家は赤玉神教丸という胃薬を製造・販売した商家で、創業は万治元年(1658)に遡ります。赤玉神教丸は『近江名所図会』にも描かれていることからもうかがえるように広く知られ、鳥居本宿を行き交う旅行者たちに人気の品となっていました。有川家住宅の建物は宝暦年間(1751~1764)に建てられたとされ、明治11年(1878)、明治天皇北陸行幸の際には御小憩所になったという歴史をもちます。有川家住宅から少し南には幕末に活動した湖東焼の絵付師・自然斎(岩根治右衛門)の旧宅も残っています。
さきほどの三叉路から南側に移ってみましょう。まず、目を引くのは古民家の軒下に掲げられた黄色い木製の看板(写真2)です。そのユニークな形状が表しているように、ここはかつて合羽(かっぱ:荏胡麻の油と柿渋を塗った渋紙合羽)を製造していた合羽所でした。この紙製の合羽は、荷物や駕籠の雨よけとして重宝されました。写真2に示したのは「松屋」という合羽所ですが、

写真2:松屋
写真2:松屋

元文5年(1740)前後に10戸、1750年代には13戸存在したとされています。
「松屋」から南へ進んでいくと、右手に専宗寺というお寺が見えてきます。元々は佐和山城下町(佐和山東麓)にあったものが寛永17年(1640)に現在地に移ったとされています。山門右隣には太鼓門(写真3)がありますが、その天井は佐和山城の遺構と伝えられています。さらに進み、宿場の南端付近にまで来ると、中山道と彦根道(朝鮮人街道)が交差する三叉路に道標(写真4)が立っています。「左 中山道 右 彦根道」とあるように、中山道をそのまま京都方面に進む旅行者は左(南)へ進み、彦根城下に向かう場合はここから右(西)へと進んでいきました。道標西面の銘文から文政10年(1827)に設置されたことがわかり、滋賀県を代表する道標の一つとして評価されています。

◆周辺のおすすめ情報
宿場全体としても古い町並みを残し、風情ある佇まいを醸し出しています。鳥居本宿一帯では毎年10月に「とりいもと宿場まつり」が開催されており、有川家住宅などの古民家も公開されることになっています(今年は10月6日に開催)。この機会に足を運んでいただき、宿場の中を巡りながら江戸時代の旅人の気分を味わってみるのはいかがでしょうか。

写真4:道標
写真4:道標
写真3:太鼓門
写真3:太鼓門

参考文献
彦根市史編集委員会 2008『新修彦根市史』第2巻 彦根市  (山口 誠司)

◆アクセス
【公共交通】近江鉄道鳥居本駅から徒歩5分
【自家用車】名神高速道路彦根IC下車 国道8号線を15分

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