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調査員のおすすめの逸品 №273 長浜市黒田長山古墳群4号墳北棺出土の横矧板鋲留短甲(よこはぎいたびょうどめたんこう)

余呉町

弥生時代、強力な殺傷力をもつ金属製の武器が中国王朝や朝鮮半島から伝来して普及するなかで、防御の為に動物の皮革や木材などを素材とした楯や甲冑がつくられます。
古墳時代前期には中国や朝鮮半島で作られた鉄製の甲冑がもたらされ、中期には日本独自の鉄製や金銅製の甲冑が畿内で量産されて、列島各地の有力者に配布され、その多くが古墳に副葬されました。
滋賀県内の古墳から出土した甲冑は、これまでに前期が5例、中期が11例、後期が3例知られており、そのなかで各時代の特徴的な甲冑は、前期は雪野山古墳出土の木甲と中国製小札革綴冑、瓢箪山古墳出土の朝鮮半島製方形板革綴短甲、中期は新開1号墳の三角板革綴短甲、三角板鋲留短甲、横矧板革綴短甲、横矧板鋲留短甲、三角板革綴衝角付冑、小札鋲留眉庇付冑、黒田長山4号墳出土の横矧板鋲留短甲、雲雀山2号墳出土の三角板鋲留短甲があります。
前期の雪野山古墳や瓢箪山古墳から出土した甲冑は中国や朝鮮半島からの導入期のもの、中期の新開1号墳から出土した甲冑は国産化が進み量産される時期のもの、黒田長山4号墳や雲雀山2号墳出土の短甲は地方の甲冑保有者が増加する時期のものであり、近江の甲冑研究だけでなく、古墳時代を研究するうえで欠くことのできない重要な資料となっています。今回紹介するのは、黒田長山4号墳出土の短甲です。

4号墳北棺出土の横矧板鋲留短甲(修復後)
4号墳北棺出土の横矧板鋲留短甲(修復後)

黒田長山古墳群は、近江と越前を結ぶ北国街道を見下ろす大箕山支丘の尾根上に、21基以上の円墳で構成される中期後半(5世紀後半)の古墳群で、昭和52~53年に21基が発掘調査されました。
群中では卓越した規模をもつ4号墳は墳丘に貼り石が施された円墳(直径約18m・高さ3.3m)で、墳頂に掘り込まれた埋葬施設は南北に並列する二つの木棺直葬で、未盗掘であったため副葬品が良好な状態で残っていました。
南棺には、鉄製横矧板鋲留短甲1領、鉄刀3点、鉄鏃100点以上、北棺には鉄製横矧板鋲留短甲1領、鉄剣4点、鉄刀1点、鉄鏃46点以上、鉄斧1点が副葬されていたほか、北棺の棺外には鉄鉾2点が置かれていました。南棺、北棺ともに副葬品が武具・武器であることから、被葬者は武人的性格の人物と考えられます。

4号墳北棺出土の横矧板鋲留短甲(修復前)
4号墳北棺出土の横矧板鋲留短甲(修復前)

また、他の古墳も、鉄刀や鉄剣などの武器が副葬されていることから、4号墳の被葬者と同じような職掌の人物と考えられます。
4号墳北棺に副葬されていた横矧板鋲留短甲はほぼ完全な状態で出土しましたが、出土から40年経過したこともあり錆が進行して部分的に亀裂が生じるなどしていたため展示できない状態でしたが、平成30年度「マザーレイク滋賀応援寄附金活用事業」により修復され、再び展示ができる状態になりました。現在は安土城考古博物館の第一常設展示室に展示されています。
黒田長山4号墳北棺出土の横矧板鋲留短甲を、隣のケースに展示されている5世紀前半から中頃の新開1号墳出土甲冑と見比べると、甲冑の製作方法が革綴じ技法から鋲留技法に変化していることがよくわかります。是非、間近で観察して当時の先端技術をご覧ください。(藤崎 高志)

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