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調査員のおすすめの逸品 №287 いにしえ人のイレズミ-赤野井浜遺跡出土黥面土偶と土偶形容器

守山市

このコーナーでは、縄文時代の出産を表す逸品(調査員の逸品No.20)、 最果てのハート形土偶-小川原遺跡(甲良町)-(調査員の逸品No.169)と2点の土偶を紹介してきました。今回は、縄文時代の出産を表す逸品として紹介した屈折像土偶と同じ調査の際に出土した守山市赤野井浜遺跡出土の黥面土偶(写真1)と土偶形容器(写真2)について、紹介します。

写真1 黥面土偶
写真1 黥面土偶

屈折像土偶が当時の出産の様子を表したと考えられているように、土偶には当時の習俗が表現されています。赤野井浜遺跡から出土した黥面土偶は、顔の部分のみが出土しています。叫んでいるもしくは笑っているような大きな口が特徴的です。この土偶の顔には、眉の上に3本の横線、両目の横には、側面から目にかけて5本斜線が認められます。これらの文様は何を表しているのでしょうか。古くは、これら文様は髯(ひげ)を表していると考える説から有髯(ゆうぜん)土偶と呼ばれたり、黥(いれずみ)を表していると考える説から黥面土偶と呼ばれたりしていました。現在では、いれずみと考えられ、黥面土偶と呼ばれることが多いです。いれずみについては、古くは『魏志倭人伝』に「文身」という文字が見られ、体にいれずみを入れていることが書かれています。
赤野井浜遺跡出土の土偶は『魏志倭人伝』に書かれた内容の時代より700~800年前の縄文時代晩期の終わり頃の土偶で、古くから顔面へのいれずみを行う習俗があったことがわかります。さらに、もう一つ、土偶形容器(壺の口縁部に顔の表現をした土器)は弥生時代中期のもので、土偶に比べて、目や口の周りを囲うような文様へと変化しています。このようないれずみが何故されたかは、定かではないですが、世界の民族例からは、いれずみには成年式や魔除等いろいろな理由があるようです。

写真2 土偶形容器
写真2 土偶形容器

今のところ、県内のこのようないれずみ表現のある黥面土偶や土偶形容器の出土は、赤野井浜遺跡以外は守山市の播磨田城遺跡で出土しているのみで、守山市域に限られています。では、これらの土偶等は守山市独自のものなのでしょうか。全国に視野を広げると東海・中部以東に類似したものが多くあることがわかります。眉上の横線がある土偶は、愛知県の渥美半島にある伊川津遺跡や岐阜県中津川市中村遺跡で出土しており、守山市域の黥面土偶はこれらの地域からもたらされたものの可能性もあります。この土偶が作られた時代には、湖東、湖南地域に海産物を入れて、はるばる峠を越えてきたのか、伊勢方面の特徴を持つ土器がもたらされています。一方、土偶形容器のいれずみは櫛描文(くしがきもん)という近畿地方の弥生土器に通有の文様と同じ道具で描かれていることから、東の地域から人が移動してきて、土偶形容器の作り方を教えたと言えそうです。
このように黥面土偶と土偶形容器は、当時の習俗や地域間のつながりを表す重要な逸品といえます。2020年7月10日まで、滋賀県埋蔵文化財センターで展示していますので、ぜひ、見にいらしてください。(中村 健二)

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