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新近江名所図会

新近江名所圖会 第318回 幻の近江のお茶を求めて(その2) 

大津市

滋賀県内には、今は知られていないけれども、かつて茶が栽培されていたところがあちこちにありました。今回は膳所について触れてみます。膳所はかつて一時期茶が作られたものの、いまはほとんどそのことを知る人はいません。
膳所には、現在、ほとんど茶樹の名残もなく、江戸時代初期の文献などからも茶の産地としては出てきません。江戸時代の地誌『近江輿地志略』には、「甲賀・愛知・栗太等の諸郡の茶園を持つ者、勢田・膳所に来て茶をうる」とあることから、茶の売買はされていたようです。しかし、大正年間の滋賀県茶業組合が出している記事には、膳所の地で茶の栽培に尽力した人物のことが紹介されています。

滋賀県農業試験場果樹園跡の石碑
滋賀県農業試験場果樹園跡の石碑

「膳所城下に住み、藩に仕えていた微禄の武士、太田重兵衛は望んで帰農し、城の西の柿の阪に茶園を開き丹精込め栽培していた。時代が下り五代目の重兵衛も祖先の遺志を継ぎ荒地を開墾して茶を栽培し、宇治に赴き製茶法を学び、自園の茶業に精を出して良い茶を作るようになり、茶人にも好評であった。周辺の人もこれに倣い茶園が増えたという。
嘉永6(1853)年、ペリー来航の折、膳所藩の儒学者・関研は幕府の命により林大學頭に従って米艦に乗り込んで応接にあたり、ペリーが、日本には西洋のコーヒーに代わる飲み物はないのか、と尋ねたので、重兵衛が作った茶を淹れて饗したところ、ペリーは大いにその香味のよさに感動し、交易を開いたときに輸出してほしい産物は生糸とこの茶であると賞賛したという。関はこのことを膳所藩邸に報告、日米和親条約締結の翌年、安政2年5月に藩主は、重兵衛に城南地区園山に十三町歩の茶園を開かせたという。その後も重兵衛は茶業に励み、膳所茶の評判も重兵衛の名声もたかまり、岩倉具視が視察に訪れた際、その茶舗に『念仏園』という名をもらう。また、地元経済活動のためにも動いた重兵衛は、共同販売事業所の設置に尽力するなど活躍するが水争いに巻き込まれ不慮の死を遂げてしまったという。園山茶園は茶に詳しい後継者に引き継がれるが、世情不安と茶業を取り巻く情勢が悪くなりついに荒廃してしまう。」(註1)

園山稲荷大社の鳥居
園山稲荷大明神の鳥居

この逸話は茶園の名前の扁額が地元に残っていたりするなど、手掛かりはあるものの、最初に開墾した茶園「柿ノ阪」はどこにあったのか、絵図等にもなく、茶を献上していたという話を裏付ける文献の記録はいまだ見つかっていないなど、すべてが事実かどうかはよくわかりませんが、一定量の茶の生産、茶の取引はされていたものと思われます。茶園が荒れ果てた後の園山は、明治39(1906)年、県が農業試験場の果樹園新設のため開墾に着手し、モモ、ナシ、ブドウなどが栽培されていたそうです。しかし、大正14(1925)年、東洋レーヨン会社(現在の東レ株式会社:以下東レ)が石山一帯を買収、果樹園も昭和3(1928)年には東レに売却されます。
昭和13(1938)年、東レが従業員の保健慰安のための公園を園山につくろうとした際、斜面に壊れかけた古墳の石室を見つけます。緊急に京都帝国大学が調査することとなり、昭和14(1939)年4月に12日間の調査が行われました。
その後、東レは園山一帯の整備に着手し、現在は園山のふもと一帯は東レの社宅などが立ち並んでいます。
古墳が点在する斜面地から公園の周辺なども探索してみましたが、公園にする際にきれいに造成されたらしく、農業試験場果樹園の名残はおろか、茶の木の名残などはまったく見られませんでした。残念です。園山丘陵の周辺は東レ関連の施設でいっぱいで、かつて茶園があったころの景観とは別世界かもしれませんが、古墳は幾星霜のうつろいを見続けてきたのでしょう。

園山稲荷大明神本殿の脇に残る古墳
園山稲荷大明神本殿の脇に残る古墳

◆周辺の見どころ
◎園山古墳群
園山二丁目、東レ西側の丘陵上の園山稲荷大明神の境内地にある群集墳です。南斜面から山頂にかけて直径10m前後の小円墳が11基分布しています。残りはあまり良くありませんが、埋葬主体部はすべて横穴式石室で、現在は周りを石で囲んだり、簡易の柵がめぐらせてあるものが多いです。稲荷社の社殿や鳥居とひとくくりにされているようなものもあります。石室の構造としては大津の百穴時古墳群のような持ち送り式のタイプに類似しています。昭和14年の発掘調査時には、須恵器の壺、高坏、はそう、甕や金環が出土しています。
また周辺には、国分大塚古墳(新近江名所圖会第16回)や膳所茶臼山古墳(新近江名所圖会第311回)などもあります。

◆アクセス
【公共交通機関】JR石山駅から徒歩約30分石山駅から帝産湖南交通焼野線 園山バス停下車
【自家用車】名神高速道路大津ICから15分、駐車場はコインパーキングを利用

(小竹志織)

◆大津市園山

《註》
1.太田重兵衛に関する大正年間の滋賀県茶業組合が出したとされる記事は膳所の冨永園茶舗のHP「黒船と膳所茶のお話」(http://tominagaen.jp/blackship.html 6/8閲覧)を参照
2.園山のあたりに茶園があったことなど、様々なお茶に関する情報を中川誠盛堂茶舗のご当主からご教示いただきました。

《参考文献》
・宇野健一校注1976『近江與地志略 全』弘文堂書店
・滋賀県教育委員会1969「園山古墳群」『第1次宅地造成等規制地域内遺跡分布調査概要報告書』
・滋賀県1974「膳所園山古墳 附国分大塚古墳」『滋賀県史蹟調査報告』

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