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調査員のおすすめの逸品 №327《滋賀をてらした珠玉の逸品④》装飾品からみえる湖北地域の古墳時代ー長浜市・涌出山古墳ー

長浜市
涌出山古墳出土 首飾り
写真1 涌出山古墳出土 首飾り

 北陸縦貫自動車道の上り線、旧高月町(現長浜市)あたりを走っていると、左手に小さな山がみえてきます。この山、涌出山(ゆるぎやま)といいまして北陸縦貫自動車道の工事の際に古墳が発見されました。
 涌出山古墳の発掘調査が行われたのは昭和53年(1978年)のことでした。北陸縦貫自動車道の工事中に発見された古墳です。当初は古墳として周知されていなかったのですが、埴輪片が出土したことなどから古墳と断定され、急遽、冬季の積雪時に調査が行われました。
 発掘調査の結果、周囲に埴輪列を巡らせた、直径12.4mの5世紀末頃の円墳であることが明らかとなりました。主体部(埋葬されている部分)は、盗掘されていないこともあり、被葬者(遺体)は残っていませんでしたが、被葬者が身に着けていた装身具や武具などが、ほぼ元の位置のままで出土しました。

涌出山古墳出土 右腕輪
写真2 涌出山古墳出土 右腕輪


 出土した装身具は、鏡(珠文鏡)・勾玉・管玉・ガラス玉がありました。それぞれの出土状況をみてみると、鏡は鏡面を下にして出土しており、この近辺から勾玉・管玉・ガラス玉が出土しました。古墳の副葬品(被葬者と一緒に埋葬する物)としての鏡は、被葬者の胸の位置にあることが多いので、鏡の近辺(胸の近辺)から出土した勾玉・管玉・ガラス玉は、首飾りと考えられます。(写真1)
 鏡から40㎝ほど離れたあたりには、勾玉とガラス玉の集中部分が、2箇所みつかりました。それぞれ、1つの勾玉と複数のガラス玉が1つのまとまりになっていました。これら勾玉とガラス玉は、鏡(胸)との距離からみて、腕輪と考えられます。
 出土状況をまとめてみますと、被葬者は勾玉・管玉・ガラス玉が連なった首飾りを首に下げられ、勾玉とガラス玉が連なった腕輪を両腕(写真2・3)につけられ、胸に鏡を置かれて埋葬されたようです。そして、被葬者の左側には、全長93.4m、刃部長73.8mの鉄刀が置かれていました。(図1)
 このように、盗掘などで荒らされていない古墳では、埋葬施設の出土遺物の位置から、被葬者がどのような状態で葬られたかが分かることがあります。涌出山古墳の調査では、副葬品の出土位置から、被葬者は身長1m50㎝程の小柄な人物であったと考えられています。

涌出山古墳出土 左腕輪
写真3 涌出山古墳出土 左腕輪

 さて、涌出山古墳の副葬品は、豊富な玉類が特徴的です。首飾り・腕輪に使われている勾玉は、製作体験でも人気の装飾品ですが、涌出山古墳からは4個出土しており、4個中の3個は瑪瑙(めのう)という石で作られています。管玉は12個出土しており、いずれも碧玉(へきぎょく)という石で作られています。瑪瑙・碧玉ともに、主に北陸地方などの、日本海側を産地とする石材であり、被葬者は日本海側の地域と交易があった人物とみられます。瑪瑙は現在でも貴重な石材ですが、このような石材を使った装身具を身に着けて葬られたことからみて、湖北地域では重要な人物であったと考えられます。
 また、主に腕輪に使われたガラス玉については、82個出土しています。近年、栗東市の出庭(でば)遺跡では、5世紀前半の鍛冶工房跡から、ガラス小玉鋳型が出土しており、古墳時代の近江でもガラス玉を作る技術があったことが分かってきました。涌出山古墳の被葬者は、82個ものガラス玉を身に着けていたことから、5世紀には湖北地域でも、鍛冶やガラス玉製作が盛んに行われていたことが考えられます。

涌出山古墳副葬品 出土位置図
図1 涌出山古墳副葬品 出土位置図


 涌出山古墳は、湖北地域の小さな独立山塊の一画でみつかった古墳ですが、被葬者が身に着けていた物から、当時の湖北地域の様子が垣間見ることができる、重要な発見だったのです。
(重田 勉)

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