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オススメの逸品

調査員オススメの逸品 第209回 青春カメラから中高年の相棒へ オリンパスOM-3とOM-3Ti その3

その他

前回の続き。写真の世界にもデジタル化の波が押し寄せてきた。高性能デジタル一眼レフカメラの台頭により、フィルムカメラは消滅の危機に陥る・・・。良いモノには何物にも変え難い魅力がある。30年の時を経て繰り返される、「カメラ」という入魂の道具をめぐる逸話の最終章。

【押し寄せるデジタル化の波】
さて、ここ十余年ばかり、写真の世界ではオートフォーカス化以上の大きな変革が起こった。デジタル化の流れである。ほんの数年前までは、印刷業者にポジや紙焼きを渡していた図録写真原稿も、近年は基本デジタル渡しとなってきた。そのため、この数年は、仕事ではデジタルで撮影することが圧倒的に多くなった。ただOMもサブとして持ち出すように心掛けている。フィルムは形として残るが、デジタルは何かの拍子に突如消失することもあるからである。
デジタル時代になって、オリンパスのカメラ事業は長年の雌伏期間からようやく脱したようである。それは同慶の至りだが、デジタルカメラの急速な発展は、各社の製品サイクルを極端に短くさせてしまっている。近年ではいいカメラだと思っても、1・2年ですぐにモデルチェンジしてしまい、急速に陳腐化する。それも大衆機ばかりか三・四十万円もする高級機ですら例外ではない。最早、名機などという言葉は死語に近いと言えよう。

【技術よ永遠に】
そんな中、私のOM-3、OM-3Tiはいまだに現役である。振り返るとOM-3とのつきあいは33年にもなる。OM-3Tiでも早24年だ。このこと一つとっても名機・逸品と言わなければならないだろう。その間、自家用車や冷蔵庫、洗濯機など、身の回りの製品はみな何度も代替わりをしている。思い出は数えきれないが、最後に印象深かったことを二つ。
一つは、OM-3を手にして十数年経った頃だろう。電池を入れても、自慢のファインダー内の露出表示が一切表示されなくなったため、大阪・長堀のオリンパスへ持参したのだが、もう修理はできないと宣告されてしまった。ただ機械式シャッターのOM-3は電子部分がこわれてもしっかり作動するので、メーターや別の機種で測光して使っていた。その後しばらくして、久しぶりにオーバーホールを思い立ち、同じ営業所に所有する全OMボディ・レンズを持ち込んだところ、その日対応された前回と違う方が、自社製品をこんなに大切に使ってくれているのか、といたく感動されたのである。そして、OM-3のファインダー表示についても直せるかどうかやってみましょうと言われ、とうとう元通りに直って返ってきた。ファインダーを覗き、青く美しい液晶表示が再び現われた時は本当に感激した。お話を窺うと、この方は元々技術畑の人だったそうで、OMシステムに誇りと愛着を持っておられた。だからこそ、ハードユーザーの熱い思いに少しでも応えてやろうとしてくれたのだろう。
もう一つは、平成25年、安土城考古博物館で開催した『文化財調査の舞台裏』展で陳列されたことである。この展覧会は、この3月で退職された大槻暢子学芸員が中心になって、予算の殆ど無い中、手づくりで一所懸命に作り上げたもので、定年直前の中川正人さんはじめ、多くの協会職員が協力したことも思い出深い。展示会場の一角に、学芸員の道具のコーナーが設けられ、いつもは考古遺物や仏像などが展観されている壁ケース内に、さまざまな道具とともに、OM-3と中判のゼンゼブロニカSQ-Aiが展示されたのである。

写真④
『文化財調査の舞台裏』(2013年、滋賀県立安土城考古博物館発行)パンフレット。本展では、学芸員の使用する様々な道具の一つとして私のOM-3も陳列された
その3 写真
米寿を記念して出版した父最後の著書の扉写真。OM-3にはじめてフイルムを通して撮影した時の1枚

【時空を超えて】
OM-3が相棒になったとき大学院生だった私も、その後結婚し、就職し、転勤し、そして定年が視野に入ってきた。当時たしか六十一歳位だったか、勤続三十年を迎えた頃の父の年齢に近づいている。その父も、昨年幽明境を異にすることとなった。
カメラは不思議だ。ただの機械ではなく、人生が詰まっている。あと何年頑張ってくれるか。定年後も調査旅行に連れていきたいと念じている。

(山下 立)
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