オススメの逸品
調査員のおすすめの逸品 No.27 元をたどれば皆「耳かき」-塩津港遺跡出土品から-
工作好きの私が得意としているものの一つに、「耳かき」作りがあります。竹の中でも繊維が細く、しなやかに仕上がる「布袋竹」を厳選し、小刀で削り、火入れし、曲げて、こだわり抜いて作るのです。この耳かきで耳掃除をするとたまらなくよいのです。私だけでなく、誰もが気持ちのイイこだわりの耳かきをお持ちではないでしょうか。
では、「耳かき」っていつからあったのでしょうか。発掘調査ではほとんど出土例がなく、よくわかっていないのです。ところが、平安時代の神社遺跡として話題となっている「塩津港遺跡」から出土している多くの木製品の中に「耳かき」があったのです。
ヒノキに代表される針葉樹製で2本出土しました。最初に出土した1本は、真中で折れていたため、このときは、薬匙など、ほかの用途も考えられていました。しかし、後から出土した1本は完品でした。長さが21cmある弓状のシャープな作りです。片方が耳かきで、今でも実用に使えそうなジャストサイズのものです。そして反対側が串状に尖っています。ここが尖っていることから、これが耳かきであることに確信を持つことができました。
そう、この耳かきは髷(まげ)に刺していたのです。いつも髷に刺しておき、耳が痒くなったら耳を掻き、そして、髷の中が痒くなったら反対の尖っているほうでカリカリと掻いたのです。
いつも髷に刺しておくものと言えば簪(かんざし)があります。多くの装飾できらびやかな簪を思い出しますが、よく見ると、必ずと言っていいほど端が「耳かき」となっているのです。私の祖母の簪も鼈甲製(べっこうせい)のなかなか良さそうなものですが、そのどれもが「耳かき」になっています。ただ、大きかったり、形もかわっていたりと、とても本当に耳を掻けるような代物ではありません。
平安時代、皆が髷に刺していた耳かきは時が流れ、おしゃれの対象となり、いつのまにか耳かきの機能は形骸化し、きらびやかに装飾され、簪へと変化していった様子が見られます。
耳かきと言えばもうひとつ、武士が腰に刺していた脇差しの装飾品(三所物)の中に笄(こうがい)があります。これもよく見ると、耳かきになっているものが多いのです。 簪と言えば女性のオシャレ、そして、武士のオシャレは脇差の笄。元をたどれば皆「耳かき」というわけです。
(横田洋三)