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調査員のおすすめの逸品№373 古代人の火起こし道具~守山市赤野井湾遺跡出土の火錐臼

守山市

図1 火錐杵と火錐臼を使った着火法

 考古学関係の施設で開催される体験学習では、勾玉作りなどと並ぶ人気コンテンツとして、「火起こし体験」があります。一般的なパターンとしては、写真1のような組み合わせの道具を使うものです(図1)。棒に円盤と横木が組み合わされ、紐でつながっているものが「火錐杵(ひきりぎね)」または「火錐弓」と呼ばれ、下にある、穴が開いた板が「火錐臼(ひきりうす)」と呼ばれています。これらが体験学習で取り入れられているのは、もちろん「出土しているから」ということが理由です。

 とはいえ、実際には火錐杵についてはまだ出土例は確認されていません。写真1の横木と形状がよく似た資料や、先端が黒く焦げた棒材などの出土例はありますが、このように組み合わさって出土したものはなく、今のところはいくつかある火起こし道具の一つの仮説といったところです。

写真1 体験学習で使う火起こしセット

ちなみに、古代の火起こしとしてよく引き合いに出される「まっすぐな棒を両掌で挟んで、板の上に立ててぐるぐる回す」という方法(図2)ももちろん想定されていますが、少なくとも私はこの方法で火起こしに成功したことはありません。

 一方、火錐臼はたくさん出土しています。主に弥生時代から古墳時代のものが多く、全国で350点以上確認されています。滋賀県だけでも約30点出土していて、その8割以上がスギまたはヒノキを用いていました。形状は、幅3㎝前後、厚さ1㎝前後の角材で、直径0.5~0.8㎝程度の穴が数個、一方の長辺に並んでいます。穴は貫通せず底が焦げていて、長辺から穴の中央にかけてV字形の切込みが入っています。実際に体験学習でやってみるとわかりますが、このV字形の切込みがないと火を起こせません(写真2)。火錐杵の先端を穴に差し込み、連続して回転させて火を起こすのですが、摩擦によって火錐杵・火錐臼双方の木材が削れ、その木屑が摩擦熱で発火します。この時、V字形の切込みに木屑が溜まり、火が付きやすくなるのです。

図2 もみぎりでの着火法
写真2 火起こしした火錐臼の状態

 古代の人々にとって「火」の入手は、暖をとる、調理をするなど、非常に重要なことだったはずです。そのための重要な、かつ日常的な道具であったと思われる火錐臼ですが、少し変わった資料が守山市赤野井湾(あかのいわん)遺跡で出土しました(写真3)。古墳時代前期頃のものと思われます。普通は上述のように、角材に穴が並んでいるだけのものなのですが、これはイヌガヤ製で、長さ8.7㎝、最大幅3.9㎝、最大厚2.1㎝、平面形が隅丸長方形で断面が平べったい台形の台座の中央長軸上に、幅1㎝弱の火錐臼部が作り出されており、6ヶ所の穴があります。これらの穴の底には湖水に含まれる鉄分が付着していますが、穴の側面は焦げて炭化していることがわかります。表面の仕上げは丁寧で、例えるなら他の火錐臼がマッチとすれば、高級なオイルライターのような印象です。

写真3 守山市赤野井湾遺跡出土 火錐臼

 火錐臼が古代において重要な着火道具であったことは、出土量から明らかです。ただ、火錐臼だけではそれがどんな方法で用いられたのかはわかりません。図1のような着火方法については、江戸時代後期に発明されたという説がありますが、一方でこの方法は「忌火(いみび)」と呼ばれ、清浄な火と位置づけられて、いくつかの神社では現在も用いられています。伊勢神宮の「御火鑚具(みひきりぐ)」ではヒノキの火錐臼とヤマビワ製の火錐杵を用いて、権禰宜(ごんねぎ)がこれによって「忌火」を作り出します。このような「神聖な火」という感覚が古代から存在するのであれば、この特殊な火錐臼は、神事や儀礼に伴うものであるかもしれません。私にとっては、「火を起こす」ということの意味を考えさせられた「逸品」です。

*写真3は資料は滋賀県蔵、撮影は阿刀。

*図1・2—絵:早田まな

(阿刀 弘史)

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