オススメの逸品
調査員のおすすめの逸品 No.43 居ながらにして信長文書の真物を一覧-図録『信長文書の世界』-
安土城考古博物館で信長分野を担当し、次々と信長関係の特別展を開催している私ですが、実は学生時代に研究していたのは、中世や織豊期ではなく古代史でした。古代と言っても、考古学ではなく文献史学の平安時代。ですから就職したての頃は、恥ずかしながら古文書もほとんど読むことができず、信長文書の真贋(しんがん)判定などもよく分かりませんでした。
その時にアドバイスを下さった資料購入審査委員の先生の言葉が、「良い古文書をとにかくたくさん見なさい。」でした。良い古文書、即ち真物(しんぶつ)をどんどん目と頭に焼き付けていけば、やがて「真物とは違うモノ」が分かるようになる、と言うのです。初めは半信半疑でしたが、資料調査や展示などで良質の信長文書に接していくうちに、次第にそれを実感できるようになりました。
テレビなどで、モノの真贋を語る人がいろいろと贋作(がんさく)の証拠を並べているのを目にしますが、実際の決め手はそれ以前にあります。蘊蓄(うんちく)は後からつける「理屈」でしかなく、勝負は、最初に一目見たときすっと目と頭に引っかかりなく入っていくか、引っかかるか。「いい感じ」か「なんか嫌ぁ~な感じ」なのか。曖昧と思われるでしょうが、長年「良いもの」を見続けて培ったアンテナが作動するとしか、言いようがありません。
しかしながら、私のアンテナはまだまだ完全ではありませんし、記憶や感覚のみに頼るのではなく、その場で比較できる「良いサンプル」が多数あれば、より正確に判断することが出来ます。そのために、私が調査などで持参する逸品『信長文書の世界』です。
これは平成12年(2000年)の秋季特別展において私が担当した展覧会の図録で、現在確認されている織田信長の発給文書(はっきゅうもんじょ)の約1割にあたる78点と参考資料が、カラー写真で掲載されています。それだけではなく、古文書の形式や折り方、使用している紙等の素材、古文書に据えられた信長の証である花押(かおう)や印章、筆跡など、さまざまな視点で信長文書を解明しています。1冊持っていくだけで、調査対象の信長文書と、さまざまな角度から比較検討することが可能なので、参考資料として欠かせません。知り合いの研究者の中には、信長文書の映像をモバイルメディアに蓄積して持ち歩いている人もいますが、私はまだまだアナログ人間なので、これがあれば不自由は感じていません。それにたぶん、私にとって映像を一つずつモバイルメディアの画面に呼び出すより、頁をめくる方が早いと感じているからだと思います。ただし、データの数では及びませんけれど…。
この図録、発行時は黒地に紺で信長の花押をデザインした金文字の表紙でしたが、なんと展覧会の終了後、半年で売り切れになってしまいました。印刷会社との調整などに手間取り、第2版の刊行には7年を要しましたが、平成19年3月に新たに緑の表紙の『信長文書の世界』がお目見えし、現在も博物館で販売されています(1,500円)。第2版は、初版では上手く出せなかった古文書本来の色がよく分かるようになりましたし、少しではありますが、7年の間に新しく分かったことなどを加筆しています。皆さんも、博物館などに展示された信長文書を「見る」際には、この図録を手に、花押や印章の形、どの右筆(ゆうひつ:書記官)の字なのか、発給者の信長が差出人を敬っているかぞんざいに扱っているかなどを、読み取ってみてはいかがでしょうか。
(高木 叙子)