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調査員のおすすめの逸品 No.78 観音寺城下町遺跡の将棋駒

近江八幡市

遺跡の発掘調査に携わる者なら、誰しも自らが調査する遺跡で目の前に現れた遺物や遺構に感激したり、興奮したことがあると思います。私も約20年間、滋賀県内で遺跡の発掘調査に携わり、いろいろな遺構や遺物と出会ってきました。前回(第45回)は発掘調査現場で使う道具のお話をしましたが、今回は、私が出会った遺物の中でも、ややマニアックな部類に入る将棋の駒についてご紹介しましょう。

逸品78 表
将棋駒(観音寺城下町遺跡)表面(左)裏面(右)

近江八幡市安土町にある観音寺城跡は、安土城跡東方に位置する標高約433mの繖山(きぬがさやま)にある山城で、室町時代に近江国南半を支配していた佐々木六角氏の居城です。言わずとしれた中世を代表する山城の1つで、現在も山裾と山上には石垣を多用した郭(くるわ)が累々と残されています。また、観音寺城の城下町は繖山東麓の石寺という集落から東にあったとされていて、一帯は観音寺城下町遺跡として周知の遺跡となっています。
平成8年から9年にかけて、この観音寺城下町遺跡で発掘調査を行ないました。この調査は、田んぼに水を送るための送水管を敷設する工事に先立って行ったもので、幅1mのトレンチを延々と発掘しました。トレンチの幅が狭く、遺構が見つかってもその一部しか調査できないので、どのような遺構なのかを判断するのに非常に苦労する日々でありました。
そんなある日の朝、調査補助員で花園大学の学生である“スギやん”がいつもと同じ様なか細い声で、「なんか字の書いたモンが出てきましたけど・・・」と言いました。朝は何かとバタバタしているので、「ちょっと待って、すぐ見に行くし。」と言って作業員さんの仕事の割り振りなどで走り回っていました。そうすると「また出た。」「またや。」などと、なにやらブツブツと声が聞こえてきます。ようやく見に行って「ホンマかいなスギやん。」と声をかけた瞬間、「・・・!!!」。びっくりしました。ホントに字が書かれた小さな板が、水が湧く粘土の中から顔を出しています。それも1つではなくいくつも。よく観察すると、尖頭形の小さな板で、字を確認すると「金」「歩兵」などが見えます。なんと将棋の駒だったのです。結局、同じ場所から合計13枚の駒が出土しました。その内訳は「王将」1枚、「飛車/龍王」1枚、「金将」3枚、「銀将/金」2枚、「桂馬/金」2枚、「歩兵/金」4枚で、残念ながら「角行」と「香車」は見つかりませんでした。材質はヒノキで、一緒に出土した土器の特徴から16世紀中頃のものと言えます。

逸品78 裏
将棋駒(観音寺城下町遺跡)裏面(右)

さて、この駒の形態的な特徴は以下の3点です。
①字は全て墨書で、彫り駒や漆書のものは1点もない。
②平面形態は現在の駒とほとんど変わらないが、「歩兵」のみ縦横の比率が他の駒と違って細長い。
③厚さは2~3㎜と薄く、駒頭から駒尻まで均一。
これらの特徴は、ほぼ同じ時期の福井県一乗谷朝倉氏遺跡で174枚出土している、いわゆる「朝倉駒」によく似ています。朝倉駒は、薄いヒノキの板を曲げて作った容器(曲物)を再利用して作られていて、下級武士の遊び道具ではないかと推測されています。観音寺城下町遺跡で出土したこれらの駒も、おそらくはそのようなものではないかと思われます。
戦のない平和なひとときに将棋を指して過ごす、そんな光景が観音寺城の城下町でも日常的に繰り広げられていた。この遺物はそんなことを物語っているのではないでしょうか。

(岩橋隆浩)

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