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調査員のおすすめの逸品 №346ー関東からやってきた祭りの石

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写真にある細長い石は縄文時代に流行する石棒(せきぼう)と呼ばれるお祭りの道具です。縄文時代中期終わり頃からから後期の初め頃には、頭に笠をもつ男根状を呈しますが、縄文時代後期の中頃になると写真のような棒状のものが使われるようになります。

小川原遺跡出土の石棒
小川原遺跡出土の石棒

この石棒は犬上郡甲良町小川原(こがわら)遺跡から出土したもので、「調査員のおすすめの逸品第169回」で紹介したハート形土偶(どぐう)の近くから出土したものです。一般的に土偶は女性を表し、石棒は男性を表すと考えられています。この石棒も土偶と一緒に祭りに使われたのかもしれません。出土した時からやけに石の表面に白い粒が目立つ石だなぁと感じていました。
石棒に使われた石は緑泥片岩(りょくでいへんがん)と呼ばれる緑色した石で、滋賀県では産出しない石です。この石は群馬県の関東山地から長野の上伊那地方、三重県の鳥羽に至り、奈良県吉野川流域、和歌山県紀の川流域、徳島県吉野川流域から九州の佐賀関におよび全長1000kmの三波川変成帯(さんばがわへんせいたい)と呼ばれる地層に含まれる石です。弥生時代には石包丁などにも使われ、滋賀県の縄文時代晩期の石棒・石刀などにも見られており、通常は奈良県吉野川流域から徳島県吉野川流域のどこからか運ばれてきたと考えられています。このような通説から私もそれらの地域から運ばれてきたものと漠然と考えていました。
ある時、県から委託を受けている滋賀県埋蔵文化財センターの業務として小川原遺跡の資料調査の立会をしていた時、調査に来られた方からこの石棒が関東地方に分布する東正院型石棒であること、白い粒がある点紋緑泥片岩(てんもんりょくでいへんがん)も関東では珍しくないことからこの石棒が関東地方から運ばれたてきたものであることを教えていただきました。
近畿の南部から運ばれてきたと思っていた私には、まさに青天の霹靂(へきれき)でした。この石棒が関東から運ばれてきたとなるとハート形土偶と共にすべて南東北・北関東から運ばれてきたことになります。なぜ、滋賀の地に間の地域を飛び越えてこのようなものが出土するか謎が深まるばかりです。さらにこの遺跡から見つかった配石遺構も南東北あたりに類似しており、近畿の中の関東・東北色の強い特殊な遺跡のようです。
発掘から30年以上経ちましたが、見方を変えてこの遺跡を再検討すると今まで見えてこなかった新たな発見があるかもしれません。
(中村 健二)

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