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調査員の履歴書

『インタビュー/調査員の履歴書』№26 印象深かった福林寺古墳群の発掘調査

野洲市

Q 今日は、企画整理課の宮村誠二さんにお話をお伺いします。よろしくお願いします。前々回(№5) のインタビューの際、宮村さんは印象に残る経験として「栗東市の蜂屋遺跡で古代寺院に関わる遺構・遺物を発掘調査したこと」を挙げられましたが、蜂屋遺跡のほかにも印象深い発掘調査の経験があれば教えてください。

A 自分が担当した発掘調査はどれも印象深いのですが、そのなかでもとくに印象に残っているのが、この秋、開催される「レトロ・レトロの展覧会」でも紹介される福林寺古墳群の発掘調査です(写真1・2)。

写真1  福林寺古墳群の2号墳
写真2  石室実測中の宮村さん

Q 古墳の発掘調査ですか⁉すごいですね、個人的にもすごく興味があります。でも、その古墳群について私は何もわからないので、まずは福林寺古墳群について基本的なことを教えてください。

A 福林寺古墳群は滋賀県野洲市にあります。野洲市の南部には近江富士ともよばれる三上山(標高432m)を最高峰として、そこから北東にむかって妙光寺山、田中山・大岩山といった標高300m未満の山々が連なる山地が広がっています。福林寺古墳群は、JR野洲駅の東方1.5kmの田中山西麓にあります。この古墳群には、12基の古墳が知られており、いずれも横穴式石室をもつ円墳と目されます。近くには有名な福林寺址摩崖仏があります。

Q 発掘調査はどんな感じだったんですか?

A 発掘調査は、滋賀県が実施する中ノ池川支流補助通常砂防(総流防)に伴い、令和2年度から令和5年度にかけて実施しました。調査したのは福林寺古墳群2号墳と3号墳です。このうち3号墳は全体が砂防工事の範囲に含まれるため、横穴式石室を解体して発掘調査しました。石室に使用されていた大型の石材は重くて運べないので、石材店さんにお願いして、石材を小さく割ってもらいながら石室の解体調査を進めました。

 発掘調査の結果、3号墳の横穴式石室は天井まで残る遺存状態のよいものであることがわかりました(写真3)。これほど遺存状態のよい石室の解体調査は県内ではあまり例のないものです。解体調査したことで、古墳の全容が明らかとなりました。

写真3  福林寺古墳群3号墳の横穴式石室

Q 古墳ということは、もしかして石室の中からはお宝も・・・

A 金銀財宝とはいきませんが、古墳の来歴を考える上で貴重な遺物が出土しました。副葬品とみられる古墳時代の土器である須恵器や土師器、鉄鏃(てつぞく―矢の先に装着する鉄製のやじり―)、刀子(とうす―小刀・ナイフ―)などが出土しました。ほかには耳環(じかん)とよばれる耳飾りも出土しています。耳環はサイズが異なるものが3組あったと推測されるので、仮に一人の人物が1組の耳環を着けていたとすると、この石室には少なくとも3人が埋葬されたと考えることができます。

 これらの出土遺物はおおよそ6世紀後葉~7世紀前葉頃のものと考えられます。古墳がつくられ、埋葬が行われたのもその頃のことと考えられます。

Q へぇ~、それで一体誰のお墓なんですか?

A やっぱり、それが気になりますよね。私も最も気になるところで、現地説明会でもよく尋ねられた質問です。ただ、日本の古墳が誰のお墓かを特定することはとても難しいことなんです。当時の大王(天皇)のお墓ですら、ほとんどわかっていないのです。これまでの考古学の研究では、古墳は有力者の墓と考えられているので、この古墳に葬られたのも一定以上の有力者であったと考えています。

Q なるほど、福林寺古墳群のことや3号墳についてよくわかりました。そして、すごく興味が湧いてきました。ぜひ出土遺物を見てみたいのですが、実物を見ることはできるんですか?

A じつは今がそのチャンスなんです。というのも、この秋に開催されるレトロ・レトロの展覧会では、福林寺3号墳の調査結果が紹介されるとともに、出土した遺物の一部も展示されます。会場に足を運んでいただき、実物を見ていただけると、調査担当者としても嬉しい限りです。レトロ・レトロの展覧会は、滋賀県埋蔵文化財センター1階ロビーにおいて令和7年10月1日(火)~11月10日(月)の会期で開催します。ぜひ、お越しください。

(みやむら せいじ 企画整理課)

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