調査員の履歴書
『インタビュー/調査員の履歴書』№10 「伊那谷の考古少年から土偶研究の道へ」(前編)
Q. お名前と所属部署を教えてください。
A. 小島孝修(こじまたかのぶ)といいます。読みにくい名前なので、初見で正確に読んでもらったことがありません。調査課に所属していて、滋賀県立安土城考古博物館の中にある安土分室に勤務しています。
Q. 現在はどんな仕事を担当されていますか?
A. 発掘調査で出土した遺物などの整理調査を担当していて、とくに私自身が発掘調査を担当した栗東市蜂屋遺跡の遺物整理が中心となっています。
Q. 文化財や考古学に関わる仕事に就いた志望動機やきっかけは何でしたか?
A. もともと考古学というか昔のことに興味を持ったのは、小学生の頃に自宅の庭で石器(硬砂岩製の打製石斧(だせいせきふ)だと考古学を学びだして知りました)を拾ったことがきっかけです。もちろんその時は石器かどうかまではわかりませんでしたが、ただ割れただけではない、人の手で加工されたものだと何となくわかり、そんなものがここにあることを不思議に思いました。今となってみれば、郷里の信州伊那谷(いなだに)には、段丘面に縄文時代の集落遺跡が至る所にあって打製石斧もよく出土しますから、遺物が落ちていることはそれほど不思議なことでもありません。
それをきっかけに、小学校からの下校途中には、果樹園や桑畑などで縄文土器や石器を拾ったり(本当はよくないことですが)していました。また、学区内には古墳もたくさんあって、通っていた小学校の社会科資料室には埴輪や鉄製短甲などの遺物もたくさん展示してあったので、6年生の時には自由研究で地元にある前方後円墳を調べたりもしました。それらの経験から考古学に興味を持つようになり、大学では考古学を学ぼうと考えていましたし、高校生の頃には、その延長線で遺跡の発掘調査の仕事につきたいと漠然と思っていました。
Q. 今思うと学生の頃のご自分はどんな学生さんでしたか?
A. 同志社大学に進学し、親元を離れて京都で下宿生活を送ることになりましたが、大学にはどちらかというと真面目に通い、専門科目はおおむね熱心に受講していました。1回生の夏休みには、地元の教育委員会にお世話になって、初めて発掘調査に参加しました。炎天下での掘削作業の大変さを思い知りましたし、雨の日には完形に近い縄文土器深鉢の実測をすることもでき、良い経験となりました。
3回生になって森浩一先生の考古学のゼミが始まり、自分の研究テーマを決めることになりましたが、子供の頃からよく縄文土器や石器に触れていたので、縄文時代のことを研究テーマにしたいと考えました。それで、縄文時代中期の土偶を研究テーマに選び、卒業論文では長野県内の状況についてまとめました。地元教育委員会の整理調査のアルバイトで土偶の実測をさせてもらい、その賃金を交通費にして長野県内各地の土偶を見学して回りました。また、3回生からは、大学OBの方に誘われて、発掘調査現場に授業の無い日に通い、現地作業の進め方などを学びました。
卒業後は大学院に進みました。森先生からの「おまえはもっと勉強せなあかん」との言葉をいただいたからですが、両親の理解と援助があって進学できたことを学部の時以上に感じ、とてもありがたく思いました。縄文中期土偶を引き続き研究テーマとしましたが、対象地域を全国へと広げました。といっても、当該期の土偶は滋賀県以東でしか見つかっていないので、実質的にはおおむね東日本が対象となりました。とくに東北地方の土偶を多く見て回り、中部高地のものとの共通点や相違点などいろいろと知ることができました。ただし、修士論文では型式学的な考察に終始し、その本質に迫る研究ができなかったことは残念です。
大学院1年目の夏には、青森県三戸町(さんのへまち)の泉山(いずみやま)遺跡という縄文時代遺跡の発掘調査に1ヶ月間参加しました。長野県や関西地方とは全く違う遺跡の立地や内容、発掘調査の方法などを知ることができました。週末には東北地方各地に出かけ、秋田県鹿角(かづの)市の特別史跡大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)や宮城県七ヶ浜町(しちがはままち)の大木囲(だいぎがこい)貝塚などの遺跡を見学しました。ちょうど青森市三内丸山(さんないまるやま)遺跡の発掘調査が行われていたときだったので、その見学もよい思い出です。
大学院3年目の夏には、大学の考古学研究室で実施した徳島県三加茂町(みかもちょう)(現東みよし町)加茂谷川岩陰遺跡群の発掘調査に参加しました。その時には、研究室で最も年長でしたので、下回生を指導すべき立場にありましたが、実力不足・経験不足からなかなかうまくいかないことも多くありました。この時に松藤和人先生や鋤柄俊夫先生からご指導いただいたことが、今に大きくつながっていると感じます。この年には、研究室の学生全員で、大阪で開催された巡回展「縄文まほろば博」のアテンダントを務めました。普及・活用事業に初めて携わることとなり、よい経験を得ることができました。
― 子供の頃、学生時代のお話など盛りだくさんでしたので、就職してからのお話については、また次回に。お楽しみに!