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調査員の履歴書

『インタビュー/調査員の履歴書』№11 「伊那谷の考古少年から土偶研究の道へ」(後編)

―『インタビュー/調査員の履歴書№10』の小島孝修さんのお話の続きをお送りします。
Q. 仕事についてから経験した印象的な発見や体験の話を教えてください。
A. 就職は大学のある京都と実家のある信州の間でと考えていましたが、縄文中期土偶出土最西端の地である滋賀県に、縁あって来ることになりました。当協会に採用になって今年で25年目、もう四半世紀にもなりましたが、そのうち現地での発掘調査には約18年間携わってきました。
県内各地で発掘調査を担当しましたが、そのなかでも琵琶湖岸付近での発掘調査を担当することが多くありました。とくに、琵琶湖東岸にはかつて多くの内湖がありましたが、その周囲に多く立地する縄文時代の遺跡の発掘調査が印象に残っています。それが旧小中の湖(しょうなかのこ)岸に立地する近江八幡市安土町安土弁天島遺跡(平成11年度:縄文時代早期~前期)・同竜ヶ崎A(りゅうがさきえー)遺跡(平成15年度:縄文時代中期~晩期)と、県東部の彦根市松原内湖(まつばらないこ)遺跡(平成18~20・26~28年度:縄文時代早期・晩期)・入江内湖(いりえないこ)遺跡(平成21・22年度:縄文時代早期~前期)です。記者発表も、安土弁天島遺跡の調査では玦状耳飾(けつじょうみみかざり)(縄文時代早期末)で、竜ヶ崎A遺跡の調査では貯蔵穴(縄文時代中期末)と炭化キビ(縄文時代晩期末)で、それぞれ行いました。

完成した報告書を手にする小島さん
完成した報告書を手にする小島さん

そのほか、松原内湖遺跡・入江内湖遺跡に隣接する彦根市佐和山城跡(さわやまじょうあと)での発掘調査(平成20・21年度)も、思い出深い調査の1つです。石田三成の居城としてよく知られる佐和山城跡の、山麓部分とはいえ初めて行われる発掘調査でしたから、記者発表を行った内堀の発見は、新聞・テレビで大きく取り上げられました。その内堀の現地説明会には合計約400人もの見学者が来られましたが、通常の現地説明会とは異なり、いわゆる「歴女」といわれるような方々が多く参加されたことが印象に残っています。また、中日新聞でも第1面で取り上げてもらったので、長野県に住む両親にも私自身の姿を新聞で見てもらえた、はじめての発掘調査となりました。

Q. 最後に読者の皆さんに一言お願いします。
A. 私が勤務している安土分室は、滋賀県立安土城考古博物館の回廊展示という位置づけになっていて、普段の仕事振りをガラス窓越しに見学していただけます。遺跡や遺跡の発掘調査に興味がある方は、安土城考古博物館においでいただいて館内の展示を見学するとともに、ぜひ回廊展示もご覧ください。
【小島孝修の社会貢献活動】はコチラ

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