記事を探す

調査員の履歴書

『インタビュー/調査員の履歴書』№2「考古学との出会い―シュリーマンの伝記」

その他

Q. お名前と所属部署を教えてください。
A. 阿刀弘史(あとう こうじ)、調査課に所属。

Q. 現在はどんな仕事を担当されていますか?
A. 発掘調査成果品の整理、発掘調査報告書の執筆・編集・刊行。

Q. 文化財や考古学に関わる仕事に就いた志望動機やきっかけは何でしたか?
A. 小学4年生の時に映画『スター・ウォーズ』を観て、SFや宇宙に興味を持ちました。そういった記事が載っている雑誌を手あたり次第に読んでいるうちに、某オカルト雑誌に出会い、そこに掲載されていたピラミッドやカッパドキアなどの写真から古代遺跡の方に興味が移り、遺跡や考古学が面白そうだ、と口走ったところ、親がシュリーマンの伝記を買ってきてくれました。これを読んだのがきっかけだった気がします。

Q. 仕事についてから経験した印象的な発見や体験の話を教えてください。

中兵庫遺跡 泥よけ付鍬出土状況
写真1 中兵庫遺跡 泥よけ付鍬出土状況(下のほうが鍬先)


A. 仕事に就いた初日、上司から「君は木製品と写真の担当で。」と言われました。両方ともまるっきり知らない世界で、どうしていいか途方に暮れたのを覚えています。幸い、すぐに奈良文化財研究所の「埋蔵文化財写真研修課程」に参加させてもらえ、またちょうどこの頃に『木器集成図録 近畿原始篇』が出版され、どうにかついていくことができました。
 その時に扱っていたのは、守山市の赤野井湾遺跡でした。ここでは非常にたくさんの木製品が出土しており、特に鍬や鋤といった農具が豊富に含まれていました。それらの整理作業を通して、農具について多くの知見を得ることができましたが、その時点ではまだ、どこか少し遠くにある知識のような気がしていました。
 そんなある日、1996年のことです。草津市で中兵庫遺跡という遺跡の発掘調査が行われていて、調査担当者から「鍬が出てきたんやけど、かなり残りが良いので見に来ないか」と声をかけてもらいました。喜んで行ってみると、そこには二枚刃の、今では見ないような姿の鍬が…。このホームページの「調査員のおすすめの逸品 No.47 謎の丸鍬の正体-中兵庫遺跡出土泥除け―」で紹介している鍬でした。(写真1)このタイプの鍬は、それまで個々の出土事例からこういう姿であろうと想定されてはいました。けれど、実際に組み合わされた状態での出土は全国で2例目、このタイプのものとしては全国初の事例です。知識としては知っていましたが、それまで仮説でしかなかったものが実際に出土して証明された場面を目の当たりにする衝撃は圧倒的で、非常に興奮した記憶があります。
 最初に担当させてもらったのが木製品だったおかげで、それ以後もやはり木製品にまつわる発見が印象に残っています。長浜市塩津港遺跡の船形模型(当協会『紀要第28号』「塩津港遺跡出土の船形模型と琵琶湖の伝統的木造船」)や東近江市蛭子田遺跡の木製品原材加工場(調査員のおすすめの逸No.139 川跡から出てきた丸木-農具の原材-)などなど。一見地味ですが、どれも本当にすごいですよ。

Q. 最後に読者の皆さんに一言お願いします。
A. 興味の芽は、どこに生まれるかわかりません。上でご紹介したように、私がこの道に進んだきっかけなんて、かなりどうかしてますし。なので、歴史や考古学や発掘に少しでも興味を持ったら、博物館に行ったり、歴史関係のイベントに参加してみたりしてみてください。思わぬ喜びや、人生を変えるような感動に出会えるかもしれません。

《画像出典》滋賀県教育委員会・㈶滋賀県文化財保護協会「中兵庫遺跡」(県道山田草津線単独改良事業に伴う発掘調査報告書)2001
 【阿刀弘史の社会貢献活動】はコチラ

Page Top