調査員の履歴書
『インタビュー/調査員の履歴書』№17「きっかけは馬王堆漢墓発見の報道」
○名前と所属部署は?
当協会の事務局次長の吉田秀則(よしだひでのり)と申します。
令和2年3月に定年を迎え、現在は再就職という形で当協会にお世話になっています。
○考古学に興味を持ったきっかけは何ですか?
私が考古学という分野に興味を持つようになったきっかけは、いくつかありますが、小中学校時代に遡ります。小学校時代の担任の先生(大学を出られて1年目)の社会科の授業は、単に史実を教えるだけでなく、なぜその事象が起こったのかを自分なりに考える機会を与えてくれる授業でした。必然的に予習していなければ意見を言えません。この時は結構、プレッシャーを感じる授業でしたが、今思えば、歴史は単に知識を詰め込むだけでなく、その原因やその背景に目を向けることの面白さを教えられたような気がします。
また、新聞紙上を賑わせた(確か1面)世界的な発見がありました。中国の湖南省長沙市(ちょうさし)にある馬王堆(まおうたい)という小高い丘で病院建設工事中に前漢時代の墓が見つかりました(1972年1月)。棺には、3000点以上の副葬品と共に生身の遺体が残り、それは「体にはまだ弾力があり、指で押すとくぼんだ後に、また元に戻るといった状態であった。」と報告され、この遺体は、約2,200年前に亡くなった50歳ほどの女性で、後に前漢初期の長沙国の宰相である利蒼(りそう)の夫人であることが判明しました。この記事を目にした時、何千年も昔の人体や副葬品が、そのままの状態で土の下に残されていた驚きと不思議さを子供ながらに感じたことを覚えています。
さらに、中学時代、すでに考古学に興味を持ち県内の遺跡や発掘現場へも出かけていた友人(後に県内の某市の専門職員となりました)がいたことも大きく影響しています。
彼に連れられ、湖西線(こせいせん)工事に伴う北大津遺跡(現大津京駅)や古代の製鉄遺跡である野路小野山(のじおのやま)遺跡(国道1号線京滋バイパス)の現場を訪れたのが、発掘現場との初めての出会いでした。このようなことが重なり、考古学に興味を持つようになっていきました。
○当協会に就職した経緯は?
その後、高校2~3年生になり大学受験を迎え志望分野を決めるにあたって、漠然と考古学という学問を選ぶようになりました。当時の担任の先生にその希望を伝えると、「自分も考えたことがあるが、考古学は就職口が限られ、食っていかれないぞ」と言われた覚えがあります。そのような助言もあまり深く考えることなく、何とかなるだろうと考古学研究室のある地方の大学に進むことになりました。入学してみると私たちの世代が研究室の一期生で、専門図書も研究室所蔵の資料もない、まさにゼロからのスタートとなりました。指導教授の所蔵の図書や他大学の研究室の図書のコピーが参考資料となり、分布調査で得られた遺物が実習の対象資料となりました。その分、先生方や同じ研究室の仲間たち(多くが各地の専門職として活躍)と顔を合わせる時間が増え、交流も密になったように思います。
必然的に就職にあたっても考古学に関わる仕事に就きたいと考えるようになりましたが、高校時代の担任の先生がおっしゃっていた言葉のとおり、簡単に就職口が見つかるものではありませんでした。とりあえず、地元滋賀に戻り、例の中学時代の友人の紹介もあり、当協会の発掘現場でアルバイト(調査補助員)をさせていただきました。偶然にも1年後に当協会の採用試験があり、何とか採用となりました。
○当協会での業務の内容は?
当協会に採用になった当時(昭和58年)は、滋賀県の発掘調査は県内を4地区に分けた地区担当制で、県と協会の職員が合同で調査にあたっており、私は湖北担当として近江町(現・米原(まいばら)市)で国道8号長浜バイパス工事関連の発掘現場を担当しました。石山に在住していた私にとって、米原や長浜方面へはほとんど訪れたことがなく、最初は小旅行のような感覚でした。
土の中から出土する遺構や遺物に立ち向かいつつ、常に全体の調査の進捗を把握し指示を出さねばならず、しかも、これまで調査の指示を受けて動いていた立場から、いきなり自分の親世代より上の方々に指示をしなければならない立場への変換は、なかなかの苦労の連続でした。
その後、下水道事務所東北部浄化センター建設に伴う松原内湖(まつばらないこ)遺跡の調査、琵琶湖総合開発事業に伴う湖底遺跡の調査、湖北・湖東地域のほ場整備事業に伴う調査などに従事しました。平成6~12年度には、滋賀県立安土城考古博物館の学芸課に勤務し、発掘調査で得られた考古資料を活かした展示・公開、普及啓発を行うというあらたな経験を積むこともできました。展示テーマによっては、九州や関東地方まで資料の借用交渉から実際の借用にも出かけました。
関津(せきのつ)遺跡、佐和山城遺跡、浄土屋敷遺跡などのほ場整備事業の調査を経て、平成24年度以降は事業の調整や当協会の運営を中心とした業務にあたり、現在にいたっています。発掘調査の担当を離れて久しくなりますが、県シルバー連合会からの委託による発掘技能講習や講座等の講師を務めることで、かつての調査の経験や知識のもと、発掘調査の必要性や重要性を伝えればと思い取り組んでいます。
また、令和4年度は当協会設立50周年(本来は令和2年度でしたが、新型コロナウイルス感染症防止のため延期)の記念事業に携わることで、50年間に積み上げられた当協会の実績を振り返ることができ、あらためてその重みを感じることができました。
○これからの公益財団法人滋賀県文化財保護協会は?
当協会は、県との連携のもと発掘調査事業を中心に滋賀県の埋蔵文化財行政の一翼を担ってきましたし、これからもその方向性は変わらないものと思っています。ここ数年有望な若手職員も加わっていますので、技術の継承に努め、着実に滋賀県の埋蔵文化財行政の支えとなってくれるようにバトンを渡していきたいと思います。これからの公益財団法人滋賀県文化財保護協会にご期待ください。