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調査員のおすすめの逸品 №348ー「ごみ」について考える~その1~

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写真1 石山貝塚出土の幼児の骨
写真1 石山貝塚出土の幼児の骨

みなさんにとって、「ごみ」ってなんでしょうか?いらない不要なもの?汚れたきたないもの?だから捨てる/捨てたもの?簡単に述べればそんな感覚、イメージでしょうか。
歴史の授業などで、例えば縄文時代の貝塚は「ごみ捨て場」だ、と習った・教わった方も多いのではないでしょうか?今回はこの貝塚の様子を観ながら、改めて「ごみ」について少し考えてみたいと思います。

さて、びわ湖の周りには、湖底も含めて、少なくとも6ヶ所の縄文時代の貝塚が確認されています。びわ湖の底に3ヶ所、粟津湖底(あわづこてい)遺跡と呼ばれる遺跡で、第1貝塚~第3貝塚が見つかっています。

それから、瀬田川の川岸に石山貝塚と蛍谷(ほたるだに)貝塚が、湖西では大津の滋賀里(しがさと)遺跡で、縄文時代晩期の地点貝塚(※1)が見つかっています。
これらの貝塚は、本当に単なる「ごみ捨て場」なのでしょうか?具体例として石山貝塚を中心に、貝塚で見つかっているものを少し整理してみましょう。

写真2 写真1の幼児の首辺りにあったヤカドツノガイ製のビーズ
写真2 写真1の幼児の首辺りにあったヤカドツノガイ製のビーズ

まずは「人骨」が挙げられます。石山貝塚では少なくとも4基以上の、人骨を埋めたと考えられる凹みが確認されています。写真はその中の1体です。(写真1) 幼児の骨だと考えられていて、横向きで膝を抱えるような姿勢をとっているようにみえます。首の辺りにはヤカドツノガイ(※2)で作られたビーズが首飾り状に確認されています。(写真2) おそらく、丁寧に埋葬されたもので、つまり「お墓」だと考えられるものでしょう。

それから「礫(れき)の集積」です。(写真3) 写真からは、礫そのものが熱をうけているかどうかは明らかではありませんが、発掘調査当時の記録によれば、礫の間や下には炭の堆積層が確認されており、また火力を上げるための燃料として用いられた可能性の高い炭化したスギの実(写真4)なども出土していることから、いわゆる「炉」として用いられていた場所である可能性が高そうです。

もちろん「調理」するための場ではあったでしょうし、それだけでなく暖をとったり、獣等の襲来を避けたり、様々な目的で使われていた可能性が考えられるでしょう。いずれにしても、「日常的な生活の場」であったことは言えそうです。

写真3 みつかった「炉」
写真3 みつかった「炉」

さて、これらの「お墓」や「炉」は、厚さ約2mを測る貝層の堆積の中に、点々と見つかっています。つまり、ある一時期に一気にお墓や炉が構築・使用されていた、と考えるよりは、貝殻を堆積させつつ、連綿としばしば「お墓」が作られ、時々「炉」を作り・使っていた、という情景が想像されます。その様子は、けしてこの場がただの「ごみ捨て場」、あるいは「墓地」や「調理場」としてではなく、少なくとも色々な活動を行っていた「生活の場」であった可能性を、考えておく必要がありそうです。

(鈴木康二)

写真4 写真3の「炉」から出土した炭化したスギの実
写真4 写真3の「炉」から出土した炭化したスギの実

※1:地点貝塚:竪穴建物の廃絶後などに食料残滓などを捨てることで形成された小規模な貝塚。
※2:ヤカドツノガイ:本州、四国、九州などの砂地に生息する貝の仲間。殻長5センチ程度、殻口径6ミリ程度の筒形の殻を持つ。殻の断面が八角形であることから「ヤカド」の名がついた。形、白色の色彩、数多く入手できることから、様々な貝細工に用いられてきた。
《参考文献》『滋賀県石山貝塚研究報告書』平安学園編集・発行(昭和31年11月発行)
《写真出典》写真1:圖版第八下、写真3:圖版第五下;いずれも上記報告書より転載。写真2:筆者撮影

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