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新近江名所図会

新近江名所圖会 第325回 転ばぬ先の杖-大津の明治29年の水害碑を中心に(その1)

大津市

異常気象というべきでしょう。毎年、全国で地震や集中豪雨、台風による自然災害が頻発しています。河川の決壊による住宅の浸水や流失、土砂崩れによる生き埋めなど悲惨な災害が繰り返されています。
第218回『新近江名所圖會』で「洪水の記念碑―明治29年の洪水」に滋賀県内にいくつかある明治29年の水害碑の中で守山市の事例を紹介しました。今回はその時に連続して掲載する予定で取材していた大津市の事例と江戸時代の山崩れの碑を紹介します。近年、全国の自然災害の伝承碑が国土交通省国土地理院のホームページに「自然災害伝承碑」としてアップされています。1年ほど前にある新聞社の記者から『新近江名所圖繪』218回の記事を読んで問い合わせがありました。それは「国土地理院のHPをみると滋賀県の災害碑が1例も紹介されていないが、これ以外の事例はないのですか?」という内容でした。現在、このホームページを検索すると滋賀県内では大津市の5例7碑が紹介されていますが、大津市以外の市町の事例はまだアップされていません。
今回は、国土地理院の事例と重複しますが大津市内の明治29年(1986)の水害碑を3例と、HP未掲載の寛文2年(1662)に起こった「近江・若狭寛文地震」による大津市葛川の山崩れの災害碑を紹介します。
明治29年(1896)9月3日から12日間降り続いた豪雨は、琵琶湖の水位が+3.76mも上昇し、死者・行方不明者34人など甚大な被害をもたらしました。琵琶湖の水位が正常に戻ったのは11月の末で、浸水日数は237日に及んだとされています。

酒井神社石碑
酒井神社石碑

◆おすすめPoint
◇酒井神社境内碑(大津市下坂本)
3例の水害碑の1つは大津市下坂本の酒井神社境内に設置されいるものです。この水害で下坂本村の全村700戸がすべて水没したそうです。石碑は高さ1.5mほどの四角柱の御影石で、その4面に文字が刻まれています。正面には「―(横線) 洪水位 明治二十九年九月十二日」とあり「―」はその日の水位の上昇した高さを記しています。背面は「明治三十一年(1898)九月十一日」とあり石碑を建立した年月日が刻まれています。右側面には「水量最高一丈二尺八寸/常水位二尺七寸」とあり、通常の水位は82㎝ほどであるが、この時の最高水位は約3.85ⅿに達し、通常より3ⅿ以上も水位が上昇したことが分かります。左側面には「万延元年(1860)□□/明治元年(1868)五月二十日洪水位―(横棒)/明治十八年(1885)□□」と明治29年以前の3回の洪水水位も刻まれています(明治元年5月は正確には慶応5年5月です)。また、野洲市吉川の吉川治邸庭園にも酒井神社と同じ年の洪水を記録した石碑があり、その時の水位も詳しく記されています。この石碑には「横線(-)明治29年(1986)9月、万延元年(1860)夏3尺7寸5分、慶応4年(1868)5月1尺8寸5分、明治18年(1885)7月3尺3寸」の洪水位水位が記されています。江戸末期から明治初めにかけて湖南地域がしばしば水害に見舞われていたことがわかります。

◆アクセス
【公共交通機関】JR湖西線比叡山坂本駅下車徒歩15分
【自家用車】 国道161号バイパス志賀ICから10分 駐車場無

※次回に続きます。
(濱 修)

所在地:滋賀県大津市下阪本四丁目9-18

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