新近江名所図会
新近江名所圖會 第429回 野洲川田園空間博物館の魅力――屋根のない博物館を歩く
野洲川は鈴鹿山系を源に琵琶湖へそそぐ滋賀県最大級の河川で、流域では古くから氾濫を繰り返した暴れ川として知られてきました。とりわけ下流域では、洪水堆積で川床が周囲の地面より高くなる「天井川」が発達し、破堤の危険と背中合わせの暮らしが長く続きました。特に、昭和28年(1953)の台風13号は記録的豪雨となり、今浜・洲本など各所で決壊・浸水被害が発生しました。
一方で、野洲川は豊富な土砂と水を運び、広い扇状地と肥沃な沖積地を生み出しました。このおかげで、流域周辺では湧水・用水路が育まれ、弥生時代以来、稲作と生活文化を支えてきました。守山周辺には古代以来、聖なる水をめぐる伝承や湧水利用の記録も残り、まさに暴れ川と恵みの川の二つの顔を併せ持つ川として、地域の中心であり続けたのです。
その後、放水路建設・堤防強化などの改修が段階的に進み、1979年(昭和54)の通水を境に旧北流・旧南流は廃川敷地となり、治水は大きく前進しました。それでも流域の人々は洪水への畏れを忘れず、水と共に生きる暮らしの知恵を伝えてきました。この“畏怖と感謝”こそ、野洲川流域に住んだ人たちの想いだったのでしょう。
さて、そんな“川と人の物語”を、土地まるごとで体感できるのが「野洲川田園空間博物館」です。その拠点施設は「野洲川歴史公園 田園空間センター」(写真1)で、従来型の屋内展示にとどまらず、守山市・野洲市の田園地域に点在する自然・歴史・暮らしをその場所で展示と見立てる「屋根のない広い博物館」というコンセプトのもとで設立されました。

センターでは、野洲川と洪水の歴史、田園のくらしをパネルと映像で学べる一方、フィールドへ出れば、かつての人と川の共生を物語る資料を見ることができます。なかでも注目は、屋外展示として地元幸津川町で発見された「石樋」(写真2)。天井川化した野洲川の堤防下に導水の樋を埋設することにより、河道を流れる流水や地下の伏流水を積極的に利用し、田畑と暮らしを潤しました。こうした施設は江戸時代以降、野洲川の各所で設置されており、これらの樋やそれに伴う水路網が地域の命綱として機能していたのです。田園空間博物館の理念どおり、「現地=屋外」をそのまま展示する形で、樋の跡や関連解説に触れられる点が大きな魅力です(写真3)。


野洲川は、洪水への畏れと恵みへの感謝を地域に刻み続けてきました。 “水をいなし、活かす”知恵は、地域の田園景観のみならず、野洲川流域で発掘された多くの集落遺跡ともつながっており、現在の暮らしにも受け継がれています。「野洲川田園空間博物館」は、それらを教材にした、川と人の記憶をたどれる“屋根のない博物館”です。のちに紹介する雛鶴稲荷神社の堤防痕跡や、埋蔵文化財センターの遺物展示まで含めて巡れば、野洲川と共生してきた地域の想いが、手触りを持って想い起こされることでしょう。
隣接に野洲川歴史公園サッカー場「ビッグレイク」があります。広々した河川景観の中で“過去と現在”が地続きに感じられる、ちょっと不思議な感覚を得られる散策ポイントです。
おすすめポイント①「雛鶴稲荷神社」―石段脇に残る堤防痕跡
田園空間センター北側の小丘に鎮座する雛鶴稲荷神社は、石段の周辺に旧堤防の痕跡が残ることで知られます(写真4)。かつて野洲川北流は破堤を繰り返したことから、その守り神として祀られたと伝わっています。石段に続く朱の鳥居列と、堤防跡地に立つ社殿は、暴れ川と向き合った地域信仰のかたちを現在へ伝える「生きた資料」です。

おすすめポイント②「守山市立埋蔵文化財センター」―野洲川が育んだ暮らしを遺物で覗く
市内で発見された服部遺跡・下之郷遺跡・伊勢遺跡など、野洲川の水が育んだ社会を物語る出土品の常設・企画展示が充実(写真5)。守山駅からバスで直行でき、田園空間センター付近の散策とも組み合わせやすい立地です。

アクセス
・車の場合
名神・栗東IC → 田園空間博物館:一般道経由で約30分。
・公共交通機関の場合
JR守山駅 →(近江鉄道バス・服部線 ほか)→「野洲川歴史公園サッカー場」または「市立埋蔵文化財センター」:発着により約20~30分、下車後徒歩5~6分でセンターエリアへ。
文献
『守山市誌 自然編』守山市、1994年
『守山市誌 地理編』守山市、2000年
「地域防災計画(共通編)」守山市、2025年
「文化財保存活用地域計画」守山市、2022年
(木下義信 調査課)