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調査員のおすすめの逸品№395 穴の開いた卵形の焼き物~琵琶湖に管状土錘がやってきた~
草津市から守山市にかけての琵琶湖岸では、弥生時代の集落がいくつも見つかっています。発掘すると、土器や石器、木器など実にさまざまな道具が出土し、当時の人々が湖の恵みを受けながら稲作を中心とした暮らしを営んでいたことがよくわかります。滋賀の農耕が湖岸から始まったというのも、豊かな水を利用しやすかったと考えられます。
そんな弥生集落の一つ、赤野井浜遺跡から出土したのが「管状土錘(かんじょうどすい)」と呼ばれる遺物です(写真)。土錘とは、漁網を沈めるためのおもりのこと。現代でも金属製のものが多く使われていますが、縄文時代の滋賀では自然石を加工した「石錘」が主流でした。石錘は丈夫で繰り返し使える反面、形や重さをそろえるのが難しいという弱点がありました。

そこで登場するのが粘土製の土錘です。粘土なら形を整えやすく、規格をそろえて大量に作ることもできます。つまり、漁の効率をぐっと高めることができたわけです。素材が変わっただけのように見えますが、実は漁撈技術や文化の変化を物語る重要な遺物でもあります。
赤野井浜遺跡の管状土錘は、粘土を卵形にまとめ、棒で穴を開けて焼き固めたものです。長さは4〜7cm、重さは50〜60gのものが多く、穴の直径は0.3〜0.9cmと小さく、これは全国の弥生時代の土錘に共通する特徴です。滋賀では、こうした土錘は湖岸の弥生集落でしか見つかっていません。
興味深いのは、この土錘が滋賀の人々の独自発明ではないという点です。石から土へという素材の変化は、朝鮮半島から稲作文化とともに伝わった技術の一つでした。瀬戸内海や日本海沿岸に広まった漁具文化が、淡水の琵琶湖にも伝わってきたのです。つまり、赤野井浜の弥生人は大陸からの新しい漁具を積極的に取り入れ、効率的な網漁を行っていたということになります。
ただ、この管状土錘が使われたのは弥生時代前期末〜中期中葉の湖岸集落に限られ、湖岸以外では全く見られません。縄文時代の石錘が湖や川の広い範囲で使われていたことを思うと、非常に限定的な分布です。その後、古墳時代になるまで、土錘そのものが使われなくなってしまいます。地域だけではなく、時期的にも極めて限られた遺物であることがわかります。
一見すると小さな素焼きの道具ですが、管状土錘には大陸との交流、技術革新、そして湖とともに生きた弥生人の姿がぎゅっと詰まっています。赤野井浜遺跡の土錘は、滋賀の弥生時代の暮らしをより身近に感じさせてくれる、貴重な手がかりなのです。
(事務局 中村 健二) 中村健二の活動は【コチラ】