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新近江名所図会

新近江名所圖会 第66回 浅井三姉妹:お初の新居-高島市大溝城跡

高島市
高島市勝野
大溝城
大溝城
大溝城
大溝城

織田信長が天下統一を目指し安土に壮大な城を築いたころ、琵琶湖の対岸である高島に大溝城が築かれました。そして、信長の甥にあたる織田信澄が天正6(1578)年に入城し、城主となりました。この城は、琵琶湖と内湖を巧みに取り込んで築かれた水城で、明智光秀の設計・監督で出来たと伝えられています。
大溝は、京と北陸を結ぶ西近江路が通り、若狭への分岐点であっただけでなく、古代より勝野津として知られる港が存在するように、陸路と水路が交わる交通の要衝でもありました。信長の安土城、羽柴秀吉の長浜城、明智光秀の坂本城などと共に、城を結ぶ湖上ネットワークの拠点として軍事的にも非常に重要なところに位置していました。それは、本丸跡から安土城と同型の瓦が出土した(高島町教委昭和58年発掘調査より)ことからも、大溝城が織田一族の城として重要視されていたことがうかがい知れます。
城跡は湖岸近くの乙女池に隣接して、天守台跡と考えられる石垣が残っています。緩やかな傾斜に苔むした石垣が、ひっそりと戦国ロマンをかき立ててくれています。

おすすめPoint

らぶ・ラブな横断幕
らぶ・ラブな横断幕

大溝城は信澄以来、信長・秀吉の時代にはめまぐるしく城主が交代していますが、その中の一人に名将:京極高次がいます。
ご存知ないですか?
だったらこう言えばわかるでしょうか?
「浅井三姉妹次女:お初ちゃんのイケメンの旦那さま」・・・です!
天正15(1587)年、お初は秀吉の命により正室として高次に嫁ぎ、新婚の3年間をここ大溝城で過ごしたといわれています。  大河ドラマ「江~姫たちの戦国」の舞台として盛り上がる滋賀県ですが、ここ大溝城にも「京極」「浅井」両家ののぼりが立ち、近くの公立病院の屋上には、なんともラブらぶな雰囲気の案内板が・・・!・・・「お初ちゃん効果」に沸いています。

周辺のおすすめ情報

総門
総門

信澄によって築かれた大溝城は、後に解体され甲賀市水口岡山城築城の部材として移されましたが、元和5(1619)年に伊勢国上野から着任した分部光信が、大溝城跡の西に陣屋・武家屋敷を構築し、土塁・石垣を巡らせ町人町との境に総門を設けるなど、城下町を再整備しています。
辺りには今も船入町や紺屋町・職人町などの地名が残っており、毎年5月には光信が城下町の祭礼行事として始めたともいわれる「大溝曳山祭」が盛大に行われます。
また、自然に恵まれたこの地域では良質なお米が取れたことや比良山系からの清水によって醸造業が発展しており、江戸中期創業の湖西の銘酒「萩の露」やまろやかな味わいの「淡海酢」などが造られ、現在も地元の名品として人々に愛されています。

萩の露
萩の露

アクセス

【公共交通機関】JR湖西線高島駅下車、徒歩3分
【自家用車】国道161号利用、高島駅方面に5分、駐車場あり


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(志村 恵子)

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