新近江名所図会
新近江名所圖会 第125回 二上山産凝灰岩の石棺と豪華な副葬品―鴨稲荷山古墳―
琵琶湖に注ぐ鴨川の中流南岸に滋賀県指定史跡鴨稲荷山古墳があります。明治35年(1902)にすぐ東側を通る県道の改良工事の際に発見された6世紀前半の古墳で、この時に石棺や馬具、金製耳飾などが見つかりました。その後、大正12年(1923)に京都帝国大学文学部考古学研究室によって学術調査が行われ、調査結果が『近江国高島郡水尾村の古墳』(昭和51年(1976)刊行)としてまとめられました。滋賀県を代表する後期古墳の1つです。
現在は後円部の一部が残っているだけですが、もともとは全長約45mの前方後円墳と考えられていて、後円部に南東方向に開く全長約9m、幅約1.8m、高さ約1.8mの横穴式石室をもっています。その中には長さ2.3m、幅1.17m、高さ0.83mの凝灰岩を刳り抜いた家形石棺が安置されていて、副葬品として装飾品・利器類が棺内に納められ、馬具・土器類が棺外に置かれていました。これら副葬品は多数見つかっていて、金製耳輪や垂下飾・金銅製冠・沓・鹿角製柄頭附鉄太刀・鉄製拵環頭鉄太刀・鉄製鐙・鉄地金銅張飾板附轡などがあります。こうした金製耳輪や垂下飾・金銅製冠・沓などの出土品からは、朝鮮半島との関係がうかがわれます。
おすすめPoint
出土品の多くは東京国立博物館や京都大学などに所蔵されていて、現地では見ることはできませんが、家形石棺は整備されていて見ることができます。現在は家形石棺の上に覆屋が作られ、ガラス越しに見学でき、その迫力を実感することができます。この家形石棺は、滋賀県内では珍しく、大阪府と奈良県の間にある二上山産の凝灰岩を素材として使っています。このように、わざわざ遠方から石棺が運ばれてきたことや豪華な副葬品があることなどから、継体天皇の擁立に深くかかわった三尾氏の族長クラスの墓である可能性が考えられています。
金銅製冠や沓など代表とする副葬品の復元品は、滋賀県立安土城考古博物館で見ることができます。また、鴨稲荷山古墳出土双鳳環頭柄頭が、 2012年12月24日(月) まで東京国立博物館の日本考古・特別展(平成館)で展示されています。
周辺のおすすめ情報
鴨稲荷山古墳の北東約1kmには、神代文字碑のある安閑神社(第81回)があります。また、鴨稲荷山古墳の東側にある県道23号を南南西方向に約200m進んだ先には、高島市歴史民俗資料館があります。ここでは、鴨稲荷山古墳や鴨遺跡・打下遺跡の箱式石棺から出土した人骨の復顔模型や、周辺の民俗・歴史資料が展示されています。このほか、鴨稲荷山古墳と鴨川を挟んで北北東500mの県道23号沿いには、継体天皇の胞衣(胎盤)を納めたと伝えられている胞衣塚と呼ばれる円墳もあります。
いずれもJR安曇川駅から徒歩圏内にあり、あわせて見学すれば効率的にこの地域の歴史や民俗を学ぶことができます。
アクセス
【公共交通機関】JR湖西線安曇川駅西口より南に約1.6km(徒歩約20分)。鴨川に架かる天皇橋を渡ると、右側に鴨稲荷山古墳の石碑が目に入ります。現在、覆屋で囲われた刳り抜き式家形石室を見ることができます。
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参考文献
高島町役場1983『高島町史』
(中村健二)
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