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新近江名所図会

新近江名所圖会 第63回 小槻大社と栗東の首長墓

栗東市
栗東市下戸山
小槻大社
小槻大社

栗東市下戸山に所在する小槻大社は『延喜式』に記載された式内社で、古代に創建されたことがわかる古社です。室町時代に建造された一間社流造、檜皮葺の本殿は国の重要文化財に指定されています。また、五月の例祭に奉納される花傘踊りは県の無形民俗文化財に選択されています。
小槻大社の祭神は落別命(おちわけのみこと)といいます。『古事記』によると垂仁天皇の皇子で、古代豪族小槻山君の始祖とされています。古代の小槻山君はこの記述以外にほとんど現れず、実態をつかむことができません。しかしながら、皇族に出自があるという伝承を許されていることや、『続日本紀』などの史料に「栗太采女小槻山君広虫」という采女の名がみえることから、小槻山君は郡司クラスの有力地方豪族、つまり古代栗太郡の筆頭に位置づけられる豪族であったと考えられます。その始祖を祀る小槻大社が鎮座する場所はその勢力の中心付近であったと思われます。
さて、小槻大社の境内には10基ほどの古墳からなる小槻大社古墳群が分布し、小槻山君一族が葬られていると考えられています。この古墳群は6世紀ごろの築造と考えられていますが、小槻大社周辺にはこれに先行するさらに大規模な古墳が点在しており、このあたりを支配した代々の首長が葬られていると考えられています。

おすすめPoint

下戸山古墳
下戸山古墳
地山古墳
地山古墳

小槻大社にむかって南へ伸びる参道の最初の鳥居の西脇には共同墓地がありますが、この墓地の中に直径約50mの円形の墳丘が残る下戸山古墳があります。周濠の出土品から4世紀末~5世紀初頭の築造と考えられます。本来の墳形をうかがうことはむずしいですが、周囲の地形から前方後円墳の可能性が指摘されています。
この参道を北へすすみ、名神高速道路と小槻大社お旅所を越えて200mほど前方に見えるのが地山古墳です。田圃のまんなかに浮かぶ地山古墳は耕地整理で方墳のように見えますが、墳長90m、後円部直径68mの帆立貝形前方後円墳で、周濠から出土した埴輪から、築造時期は5世紀前半と考えられます。
また、小槻大社の西南西400m離れたところには、銅鏡などの豊富な副葬品を出土した北谷11号墳があります。直径32mの円墳で4世紀後半に築造されたと考えられます。
このように小槻大社と同じ丘陵には、古墳時代前期から中期にわたる三代の首長墓系列が続いて築造されており、また北東に少し離れた安養寺山周辺にも椿山古墳・安養寺古墳群といった有力な古墳が分布しています。小槻大社周辺に連綿と築かれた首長墓の存在は、小槻山君の一族が古墳時代からこの地域一帯を支配していたことを示唆しているのかもしれません。
一方、下戸山古墳と地山古墳のあいだには7世紀にはじまった栗太郡衙跡である岡遺跡があります。律令時代の小槻山君は、ここで郡司として栗太郡の支配を行っていたことでしょう。
高速道路や河川改修などで周囲の景観は一変していますが、小槻大社周辺は古代遺跡が豊富なところです。

周辺のおすすめ情報

岡遺跡の北には近世東海道が走っており、当時の面影を少し残しています。東海道が通る岡地域では、ここを訪れる人を足湯サロンで歓迎しています。
また、安養寺山西麓には栗東市出土文化財センターがあります。展示施設は休止していますが、背後には和田山古墳群の歴史公園が整備されています。 安養寺山東麓に所在する栗東市歴史民俗博物館では、栗東の歴史がコンパクトに展示されています。エントランスに展示された史跡狛坂磨崖仏の実物大レプリカは必見です(実物は山中にあります)。

アクセス

【公共交通機関】JR草津線手原駅からコミュニティーバス(治田循環線)で15分(土日運休、運行少)
【自家用車】名神高速道路栗東IC下車10分、駐車場あり


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(伊庭 功)

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