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新近江名所図会

新近江名所圖会 第309回 悠久のときが描く、ミルクロード ー乳白色に輝く芹川の景観ー

白く輝く芹川1
白く輝く芹川1

川の色といえば、「青」と連想する方がほとんどでしょう。
ここ滋賀県には、琵琶湖に注ぐ河川が数多くあります。その中に、美しい「乳白色」のせせらぎを楽しめる河川があるのをご存知でしょうか?それが、多賀町を横断するように琵琶湖にむかって流れる芹川です。

多賀町は、滋賀県の湖東地域、彦根市の東に位置する自治体です。町のシンボルのひとつである多賀大社は県内でも1、2を競う観光客数を誇り、延命長寿を願うためにたくさんの人々が訪れます。そしてこの町のもうひとつの魅力は、なんといっても豊かな自然です。町の東に広がる美しい緑の森林地帯は町域の80%以上を占めており、まさに「森の町」ともいえるでしょう。さらに、鈴鹿山系から流れ出るふたつの河川、南の犬上川と北の芹川は、ときに緩やかに、ときに激しく流れ出て、美しい景観を創り出しています。そして芹川の河床は、美しく乳白色に輝いており、深い緑の森の中を乳白色のラインが蛇行するその景観は、訪れた多くの方々を魅了することでしょう。

白く輝く芹川2
白く輝く芹川2

さて、この美しい乳白色の流れはどのようにつくられていったのでしょうか。これは、多賀町を創り上げた大自然に大きく関わっています。芹川、犬上川の水源にあたる山稜部一帯には、石灰岩が広く分布しています。そしてこの地域一帯は、「近江カルスト」といわれており、ドリーネやカレンフェルト、鍾乳洞など、石灰岩が形成する特殊な地形が広がっているのです。中でも芹川上流域の「河内の風穴」は、いまだ全貌が明らかになっていない全国屈指の延長距離を誇る鍾乳洞です。このカルスト地形から生み出された石灰岩礫が、そのまま芹川へと流れていったことにより、河床一帯が美しい乳白色に染まって見えているのです。気の遠くなるような、悠久のときを経て生み出された自然の奇跡は、今を生きるわたしたちに感動を与えてくれます。

この石灰岩による恩恵は、美しい景観のみに限りません。これらによって、多賀の町には石灰産業がもたらされることとなりました。

こんな珍しい生き物も!
こんな珍しい生き物も!

石灰は、晒粉や漆喰、肥料や消毒など、さまざまな場面で使用されたといわれています。『白河本東寺百合文書』によれば承安三年(1173年)には、現在の多賀町の土田付近に「石灰庄」があったと記されており、平安時代にはすでに石灰の産出地となっていたことがうかがわれます。そして、近世以降も石灰の産出は続いていき、この地でつくられた石灰は、伊吹山産のものとともに極上品として知られることとなり、「本山石灰」と名づけて販売され、都の公家にも好んで使用されたといわれています。また石灰は、石灰岩を石灰窯で焼成することにより生産されていました。江戸時代、この地域の民衆の中には、芹川の川原に広がる無数の石灰岩をひろい、それを石灰窯のあるところへ売ることで、年貢の足しとしたという「ひろい石」の風習も広がっていきました。その後、近代、現代には、このカルスト地帯において多くの企業がセメント業を営むこととなり、それが多賀町の発展へと繋がっていくのです。

大自然の奇跡が生み出した乳白色の恵みは、古代から現代に至るまで、人々が生活を営むための源を与えてくれました。多賀に住まう人々は、自然を理解し、寄り添いながら、長い歴史を紡いできたのです。

◆おすすめPOINT
●河内の風穴
芹川の美しい景観を楽しみながら、上流へと登っていくと、河内の風穴と呼ばれる鍾乳洞へと至ります。その総延長は全国3位を誇る約10,020mといわれており、いまだその全貌は明らかになっていません。入口から約200mまでが見学可能で、探検気分を味わうのには最高のロケーションといえるでしょう。

◆周辺のおすすめ情報
●調宮神社(ととのみやじんじゃ)
芹川の上流、山間部地域に進んでいく直前に調宮神社は所在します。かつて杉坂の地に降臨した伊邪那岐大神は、この地にとどまって昼食を召し上がられたのちに多賀大社に鎮座されたという伝承があります。当社には、芹川からの取水口があり、ここから流域地域へと水を通したと考えられます。この地に所在する調宮神社は、人の命の源たる水を運ぶ地点に置かれた、水の恩恵を祈る神社でもあったと考えられます。

◆アクセス
●河内の風穴
公共交通機関:近江鉄道多賀線「多賀大社前駅」下車 タクシーで約30分
自家用車:名神高速道路彦根ICから車で約20分
●調宮神社
公共交通機関:近江鉄道多賀線「多賀大社前駅」から徒歩約45分
自家用車:名神高速道路彦根ICから車で約15分

(木下義信)

地図1

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