新近江名所図会
新近江名所圖會 第255回 北陸自動車道「小谷城スマートインターチェンジ」周辺
平成29年3月25日(土)、北陸自動車道に小谷城スマートICが開通しました。このスマートICの名称はすぐ東側に位置する史跡小谷城跡に因みます。小谷城跡は戦国武将浅井長政の居城です。長政は織田信長の妹お市を妻としたにもかかわらず、信長に叛旗を翻して天正元年(1573)9月1日に自害しました。遺されたお市と遺児三姉妹のその後の生き様は、大河ドラマの格好のストーリーとしてしばしば取り上げられ、浅井氏と小谷城を有名にしています。小谷城はこうした背景をもつ当地ならではのブランド地名です。それがスマートICの名称に採用されたことで、たんに交通の利便性が向上したという以上の効果、つまりブランドイメージによる魅力発信という地域活性化につながる効果が期待されます。
ところで、小谷城が築かれた小谷山の東麓から南麓にかけては、戦国時代に東海と北陸とを結ぶ北国道(明治以降の北国脇往還)が通過していました。城下町は小谷山の南麓の街道沿いに繁栄し、そこから京都・米原方面に向かう小谷道(明治以降の山西街道)が分岐していました。そして、さらに北国道と小谷道との分岐点ちかくの田川の岸には「船場ノ辻(せんばんのつじ)」という小字名があり、ここに川湊(かわみなと)があったと推定されています。小谷城下町はこの川湊を拠点として、舟運により田川、姉川を経て琵琶湖の湖上交通へとつながっていました。浅井氏が小谷城を本拠とした大きな理由の一は、当地がこうした交通の要衝だったことにあります。
小谷山麓は現在も交通の要衝です。JR北陸本線、国道8号線(北国街道の後継)、国道365号線(北国脇往還の後継)、そして北陸自動車道が通過して東海、北陸、畿内を結びます。今回小谷城スマートICが設置され開通したのも、当然こうした地の利を考慮してのことでしょう。そして、ここで興味深いことは名神高速道路を経由して京都・岐阜・米原方面から北陸自動車道をやって来て小谷城スマートICの出口に至ると、その真正面が虎御前山城跡ということです。その一方、福井・敦賀方面からやって来るとインターチェンジの出口の真正面が丁野山城跡ということです。虎御前山城は信長による小谷城攻めの拠点であり、丁野山城跡は浅井氏と同盟した朝倉氏の援軍が楯て籠もったことが知られています。つまり、南からやって来る人は信長の拠点を目指し、北からやって来る人は朝倉氏の拠点を目指すことになります。戦国時代も現在も南北それぞれから同じ城を目指して小谷に到着することになります。戦国時代とちがうところは小谷城、虎御前山城、丁野山城をだれが訪問しても特段、拒むものはないということです。是非3城とも訪問してみてはいかがでしょう。
・アクセス
北陸自動車道小谷城スマートインターチェンジ出口すぐ
JR北陸線河毛駅下車すぐ(浅井長政・お市の夫婦像のお出迎えあり)
・関連施設
小谷城戦国歴史資料館