新近江名所図会
新近江名所圖會 第262回 本県の産業文化の殿堂たらしめん - 滋賀県立産業文化館
大津市打出浜に建つ滋賀県立琵琶湖文化館は、滋賀県初の総合レジャー施設、総合博物館として昭和36年(1961)に開館しました。現在は施設の老朽化等を理由に休館中となっていますが、今後、滋賀県が新たに整備する美術館(仮称・新生美術館)に収蔵品と博物館機能を移転させる予定となっています。
そんな琵琶湖文化館にも、さらに前身の施設があり、それが昭和23年(1948)に開館した滋賀県立産業文化館です(写真①)。
滋賀県立産業文化館は、滋賀県庁の西隣りに所在する旧武徳殿(昭和31年以降は滋賀県体育文化館と改称)を改装したものでした。もともと旧武徳殿は、昭和12年(1937)に大日本武徳会滋賀県支部の武道場として建設された施設ですが、太平洋戦争後、GHQによって武道が一時的に禁止されたこともあって、その用途が問題となります。
そして、初代公選知事・服部岩吉(1885~1965)の時に「本県の産業文化の殿堂たらしめん」ものとして産業文化館として改装され、再び武道場に戻るまで、仏教美術をはじめとする各種の文化財を展示・公開する施設として機能していました。
当初は、文化財を展示する文化部と県内の物産品を紹介する産業部の二つの陳列スペースがありましたが(写真②)、昭和29年(1954)に産業部の陳列が滋賀会館に移転したため、文化部の展示面積は拡大します。やがて、昭和30年に産業文化館が再び武道場(滋賀県体育文化館)に戻されることとなったため、文化部の機能も滋賀会館(3階ロビー)に移転することとなります。
そして、このような武道場から文化施設への変貌を象徴するモニュメントが産業文化館の展示場を飾っていました。それが杉本哲郎(1899~1985)の「舎利供養」という壁画です(写真③)。作者の杉本哲郎は、大津市に生まれ、山元春挙(1872~1933)にも師事した画家で、また仏教美術(特に壁画研究)の研究者でもあった人物です。
本作以外にも宗教壁画として、ウェスティン都ホテル京都の「清水寺縁起」や東本願寺津村別院の「無明と寂光」などの代表作があります。
本作は3画面の構成で、中央がほぼ正方形、左右が横長の画面となっており、中央には天蓋下の舎利塔を中心として、両脇に観音・勢至の両菩薩、上部には迦陵頻伽(かりょうびんが)を配します。また、向かって右面には蓮華を捧げ、舞踊する11人の菩薩たちと帝釈天、左面には各種の楽器を奏する13人の菩薩たちと梵天が描かれています。このように仏教美術の作品を展示するに相応しい空間を演出していました。
やがて、昭和34年(1959)に総合文化館計画が企画され、琵琶湖文化館の竣工が始まると、再開した武徳殿(滋賀県立体育文化館)にはそぐわないもとして警察機動隊(大津市三井寺下)に保管されていたこの壁画は、法隆寺の夢殿を模した琵琶湖文化館別館へと移され、再び多くの人々の目にふれる機会を得ます(写真④・⑤)。
美術品としても貴重なものですが、戦後滋賀県の博物館史を語るうえで欠かすことのできない資料でもあります。現在は琵琶湖文化館の収蔵品として、保管されています。
※旧武徳殿(滋賀県体育文化館)は平成21年より閉鎖されており、敷地内に立ち入ることはできません。現在は未解体のため、フェンス越しにその外観を確認することはできます。
【周辺のおすすめ情報】
隣接する滋賀県庁新館3階には「県政史料室」があります。滋賀県が所蔵する歴史的文書を閲覧することができ、また定期的に所蔵資料を活用したテーマ展示が開催されています。滋賀県の近代史を学ぶには最適な場所です。