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新近江名所図会

新近江名所圖會 第380回 中世の趣き漂う建物群―甲賀町油日神社―

甲賀市

甲賀市甲賀町に所在する油日岳の麓に、甲賀郡の総社と言われる油日(あぶらひ)神社が鎮座しています。

写真1 油日神社楼門と附属廻廊
写真1 油日神社楼門と附属廻廊

創建は『近江輿地志略(おうみよちしりゃく)』巻五十三(1734年)などに聖徳太子創建という伝承があります。『油日大明神縁起』(室町時代)などでは、物部守屋(もののべのもりや)追討の際に弓矢を求めて近江・伊賀・伊勢の国境の山に入ると、翁(おきな:男性のご老人)が現れ、兵法書と鏑矢(かぶらや:射放つと音響を発する矢。合図や邪を払うなどに用いる)が授けられたことから、「通山大明神」の神号が捧げられ、のちに「油日大明神」に改められたといいます。聖徳太子創建伝承から、当社には室町時代の聖徳太子絵伝が現存しています。
『甲賀郡志』(1925年)などでは、創建年代は不明ながら、少なくとも『日本三代実録』元慶元年(877年)12月3日条に祭神の油日神が正六位上(しょうろくいのじょう)から従五位下(じゅごいのげ)に進階していることから、それ以前に祀られていた事がわかります。

おすすめPoint

写真2 油日神社拝殿
写真2 油日神社拝殿

油日神社の本殿・楼門と附属廻廊(写真1)・拝殿(写真2)はいずれも国の重要文化財に指定されています。本殿および楼門と附属廻廊については室町時代の造営となっており、県内でも稀少な建造物となっています。楼門に廻廊がとりつく建造物で、中世に建てられたものというのは滋賀県内でも油日神社のみとなっています。なお拝殿は詳細な造営年代が不詳ながらも、安土桃山時代の造営となっています。
また、例大祭は5年に1度行われ、「奴振(やっこぶり)」という練り歩きが行われます。起源は天元元年(978年)に橘敏保が勅命を奉じて参向(さんこう:高位の人の所に参上すること)したものを上野・高野・相模・佐治・岩室の5氏が年々交代で代参したことで始まったと伝わっています。これを頭殿(とうどう)参向といい、現在では氏子関係から上野頭(うえのどう)のみが行うようになったことから5年に1度となりました。昭和33年に滋賀県無形民俗文化財に選択されています。

写真3 甲賀歴史民俗資料館
写真3 甲賀歴史民俗資料館

周辺のおすすめ情報
油日神社境内には甲賀歴史民俗資料館があります(写真3)。こちらは予約が必要ですが、県指定文化財で、白洲正子氏著の『かくれ里』にも登場する「福太夫(ふくだゆう)面 附ずずい子」などがあります。この「福太夫面」は永正5年(1508年)という銘があり、「ずずい子」(木彫像)も同じ時期のものとされ、これらは油日神社の五穀豊穣祈願の神事に使われた祭具です。                                                                ちなみに、永禄8年(1565年)に足利義昭が油日神社を参詣したときに、この面を被り「われは油日の傀儡(くぐつ)なり」と言ったといわれます。
また油日神社から北に1.5㎞ほど行った先に日本最大坐仏の十一面観音菩薩坐像(重文)を御本尊とする櫟野寺(らくやじ)があります(写真4)。同寺は、そのほかに20体余りの重要文化財である平安時代作の仏像を有しています。2016年から2017年には東京国立博物館で特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」が開かれました。

写真4 櫟野寺
写真4 櫟野寺

アクセス

【公共交通】:JR草津線「油日駅」下車徒歩約30分
【自家用車】:新名神高速道路「甲南IC」から約20分
(福井知樹)

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