新近江名所図会
新近江名所圖會 第428回 干ばつとの闘い―龍ケ池揚水機場―
2024年9月3日、犬上郡豊郷町石畑に所在する龍ケ池揚水機場が滋賀県内初の世界かんがい施設遺産に認定されました。私は令和6年度、縁あって豊郷町所在の四十九院遺跡(豊郷町四十九院・安食西)と八町古墳(豊郷町八町)の発掘調査を担当していましたが、この八町古墳のすぐそばに龍ケ池揚水機場(写真1)があります。

世界かんがい施設遺産は、国際かんがい排水委員会が認定する建設から100年以上経過しているかんがいが主目的のダムやため池などを認定・登録する制度です。国内では51施設、近畿地方では7施設が登録されていて、今回、兵庫県の西光寺野疎水路、宮城県の南原穴堰とともに登録されました。
揚水機場のある豊郷町石畑・四十九院などの地域は犬上川扇状地に位置しているということもあり、度々干ばつに襲われていました。このあたりは犬上川の一ノ井堰から用水を取得していましたが、川上との水争いが度々起こっていました。明治42年7月から8月にかけて約40日間雨が降らないという干害にみまわれたたことから、石畑と四十九院の人々が協議して「蒸気動力ポンプによる地下水揚水機場」を設置することが立案されました。
しかし、この構想は当時の学者や専門家からは懐疑的な目でみられ、県土木課長は「この事業は失敗する」と放言したともいいます。それでも石畑に龍ケ池揚水機場、四十九院に砂山池揚水機場が計画され、明治42年12月6日に龍ケ池揚水機場が起工し、16日には18尺(約5m40cm)掘り下げた箇所で湧水を確認、湧水量試験などを経て翌43年6月末にはかんがい水の取水を開始しています。なお当初は地下水が存在するかどうかも不明で、先例がない工事のため、ともかく掘り進めていくしかなかったそうです。
おすすめポイント
明治42年当時、農業揚水機場は全国で163箇所、県内でも6箇所ありましたが、「地下水をくみ上げて農業用水として利用する」施設は存在していませんでした。そのため、龍ケ池揚水機場は国内でも最古級の地下水の揚水施設となります。地下水揚水施設は、ダム建設などに伴って減少傾向にありましたが、龍ケ池揚水機場は大正12年には蒸気ポンプが電気ポンプに切り替わったり、大正13年の干ばつで池の水が涸れてしまったため、池の掘り直しをしたりと、改修を加えつつも現役で稼働している希少な施設です。

蒸気ポンプから電気式ポンプに切り替わったため、煙突が不要になったものの、レンガ積みの煙突基礎が残されており、往時の姿を偲ばせます(写真2)。工事完成時の古写真からは煙突基礎の上方に長い煙突が設置されていたことがうかがえます(写真3右端)。この煙突は明治44年の『龍ヶ池不動産動産下調帳』によると52尺(約15m)あったと記されています。
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当時の豊郷村長の伊藤長兵衛は龍ケ池・砂山池建設経緯の回想・解説記事で「たとえかなりの大きさと深さを必要としたとしても素志を貫徹するという決心で」と記していて、農業用揚水を得るための一大事業として成功させるという並々ならぬ思いがうかがえます。また、石畑区長の村岸峯吉の回想メモには「設計書なく工事は進められ、仕事に着手すれば、其の時、其の場に於て、部分的なる設計なしたる」と状況に応じた手探りで掘っていくしかなかった事もうかがえます。そういった当事者たちの努力の甲斐もあって、当時念願であったかんがい揚水を得ることでき、干害による減収の回避・二毛作の推進・土地価格の上昇・手間の軽減・小作料の上昇といった恩恵が地域にもたらされたそうです。そして、龍ケ池揚水機場・砂山池揚水機場の工事成功をきっかけに、農業用水への地下水利用が全国に広がっていくこととなりました。まさに日本の農業に革命を起こした施設になります。
周辺のおすすめ情報
龍ケ池揚水機場から西へ向かい、新幹線の高架を潜り抜けると豊郷小学校旧校舎群があります。豊郷小学校旧校舎群はヴォーリズ建築事務所設計で、数々のアニメやドラマ、映画のロケーション等に使われたので有名ですが、豊郷小学校旧校舎群には龍ケ池揚水機場の初代ポンプが保存されていて、見学することができます。
豊郷小学校から中山道沿いに北へ進むと、行基建立と伝わる唯念寺や当地出身の豪商薩摩治兵衛らの近江商人を偲ぶ「先人を偲ぶ館」、薩摩治兵衛記念館(旧豊郷尋常小学校本館)、鈴虫が鳴く季節に咲くというスズムシバナ(豊郷町指定文化財)、渡来人の阿自岐氏を祀る阿自岐神社とその庭園などのスポットがあります。周遊してみてはいかがでしょう。
【アクセス】
公共交通:近江鉄道「豊郷駅」下車徒歩約15分
自家用車:名神高速道路湖東三山SICから約10分
【参考文献】
豊郷町教育委員会事務局社会教育課編(2024)『龍ケ池調査報告書』
【写真典拠】
写真1・2 筆者撮影 写真3 石畑区所蔵
(福井知樹 / 調査課)