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新近江名所図会

新名所圖會第227回 先人たちの置き土産―葛籠尾崎湖底遺跡資料館―(長浜市湖北町尾上)

長浜市
尾上から葛籠尾崎を望む
尾上から葛籠尾崎を望む
葛籠尾崎湖底遺跡資料館(尾上公民館)
葛籠尾崎湖底遺跡資料館(尾上公民館)

葛籠尾崎(つづらおざき)は、琵琶湖の北端部にある、北湖に突き出した岬状の地形の名称です。山がちで険しい地形が続き、急な斜面が深い湖底まで続いています。大正13年(1924)末、湖水を挟んで葛籠尾崎の東方に位置する尾上(おのえ:現長浜市湖北町)の老漁師喜助が魦(イサザ)漁をしていたところ、底引き網に数個の土器が引っ掛かりました。その後も、縄文土器や弥生土器・土師器・須恵器などの土器や石器などの遺物が次々と引き揚げられ、湖底遺跡の存在が明らかになりました。これらの遺物を収蔵・展示しているのが、尾上公民館内にある葛籠尾崎湖底遺跡資料館です。
引き揚げられた遺物は、その頃滋賀県内の遺跡や遺物の調査をしていた島田貞彦氏により世間に公表されました。このような深水部にある遺跡は世界的にも例がないことから広く知られることとなり、また、琵琶湖の湖底遺跡研究のきっかけにもなりました。その研究を特に進められたのが、尾上出身の小江慶雄(おおえ よしお)博士(元京都教育大学学長)です。小江博士は滋賀県を主な研究フィールドとし、長年にわたり水中考古学を積極的に研究されました。
昭和34年(1959)には、京都新聞社により音響探査などを使う「びわ湖湖底総合科学調査」が行われました。その結果、葛籠尾崎と尾上の間には深さ70mを測るV字形の深い谷があり、遺物はその谷底まで分布することがわかりました。昭和48年(1973)には、滋賀県教育委員会により遺物の出土状況などを確認する潜水調査が行われました。湖底での遺物は土中に埋没せずに露出していましたが、これは周囲に河川が無く土砂が堆積しなかったため、沈んだ当時の状態で残った結果と考えられます。この潜水調査の様子は、滋賀県立琵琶湖博物館(草津市下物町)で見学できますし、また長浜城博物館(第173回で紹介)では、遺物が沈んでいる様子をジオラマ風に見学することができます。
遺物の引き揚げ地点やこれらの調査から、遺跡の範囲は葛籠尾崎の先端から東沖約10~700m、葛籠尾崎の湖岸に沿って北へ数㎞と広大なことがわかりました。遺跡の成因については、島田氏以降いくつもの説が出されていて、湖岸遺跡からの遺物流出説、地形変動による遺跡の沈下説、沈没船の積み荷説などがあります。また、葛籠尾崎の北東にある、北陸への玄関口となる塩津港へ往来する船が、安全を祈願して奉納したとする説もあります。しかし、いずれも推定の域を出ておらず、謎に包まれたままです。なお、塩津港については、当協会で平成18年から28年にかけて断続的に遺跡の発掘調査を実施していて、古代から中世にかけて繁栄していた様子が明らかになってきています。現在整理調査を実施しているところですが、「調査員おススメの逸品」コーナーでその数々の逸品を解説していますので、ぜひご覧ください(第27回・第111回・第159回・第164回・第181回)。

葛篭尾崎湖底遺跡縄文土器集合写真
葛篭尾崎湖底遺跡出土の縄文土器

◆おススメpoint
遺物は150点以上が見つかっていて、その年代は縄文時代早期から平安時代後期にかけての約8,000年間と長期にわたっています。また、湖水に含まれる鉄分が付着(これを湖生鉄(こせいてつ)といいます)したものも多く、これは長い間同じ位置にあったことを裏付けています。
これらの土器の特徴のもう1つは、完全に近い形をしたものが多い、ということです。とくに縄文土器は、年代が古く、かつ比較的大きいものが多いことから、壊れやすく、滋賀県内で遺跡の発掘調査をしていても完全な形で見つかることはほとんどありません。このことから、縄文土器研究において、葛籠尾崎湖底遺跡出土資料は重要な位置を占めているのです。縄文時代各時期のものがあり、私が見たところでは、縄文時代早期中葉(約8,000年前)から、同後期前葉(約3,500年前)のものがあります。その中には、滋賀県内ではそれほど見つかっていない、東海地方から運ばれてきたと考えられる土器もいくつか見受けられます。
葛籠尾崎湖底遺跡資料館で収蔵・展示している遺物は、小江博士の尽力により散逸を免れたものです(入場料200円)。資料館は平成21年4月にリニューアルオープンし、小江博士の業績も展示されています。ただし、通常は閉館していますので、見学には事前に予約が必要です。

尾上の石棺(鐘楼が新築されていました)
尾上の石棺(鐘楼が新築されていました)

◆周辺のおススメ情報
葛籠尾崎湖底遺跡資料館から歩いてすぐ、尾上地区の相頓寺(そうとんじ)には、古墳の石棺の破片が置かれています(第65回で紹介)。付近から出土したものと思われ、花崗岩製で6世紀末頃の組合式家形石棺と考えられています。
このほか、長浜市西浅井町の塩津あぢかまの里(第133回)や丸子舟の館(第40回)では、2隻しか現存しない丸子舟が展示されています。少し足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

◆アクセス
【公共交通機関】JR北陸線河毛駅下車、湖北タウンバス19分、尾上停下車徒歩3分
【自家用車】北陸自動車道長浜ICから西へ湖周道路を北へ約25分あるいは木之本ICから湖周道路を南へ約20分

(小島孝修)

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