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新近江名所図会

新名所圖會第231回 日露関係史の一コマー大津事件の石碑と関係資料ー

大津市
大津事件石碑
(写真1)旧東海道脇に立つ大津事件の石碑

人や物が頻繁に往来する街道は、いろいろな歴史的事件の舞台となってきました。今回紹介する大津事件の現場も旧街道・東海道にあります。今から約120年前、日露外交を揺るがす大事件の舞台となった場所です。
明治24年(1891)5月、ロシア皇太子ニコライ(後の皇帝ニコライ2世)は、極東ウラジオストクで行われるシベリア鉄道の竣工式に出席する途上、日本を訪れます。京都をはじめ全国各地の名所、景勝地を巡り、滋賀県にも足を運んで三井寺や唐崎などを見学しました。事件はその帰路で起こります。一行が東海道を通って、宿泊先の京都へ向う途上、大津町下小唐崎町(現在の大津市京町二丁目)付近にて、警護をしていた巡査・津田三蔵が突然、ニコライに斬りかかったのです。この時、ニコライは頭部に傷を負ったものの、幸いにも命に別状はありませんでした。

大津事件関係資料
(写真2)大津事件関係資料

ニコライの来日にあたって日本政府は、私的な遊覧とされながらも、皇族がその接待役を務めるなど格別の待遇を持って対応していました。当時は未だアジアの一小国に過ぎなかった日本にとって、大国ロシアの皇太子が訪日中に害されたという前代未聞の事件は、重大な外交問題に発展するのではないかと、時の日本政府をはじめ多くの人々が大変な危機感をつのらせました。このため、政府は外国の皇族に危害を加えた罪は重いとして大逆罪相当とし、政治的判断は死罪へと傾きます。しかし、司法の大審院(最高裁判所の前身)は、当時の法的根拠に則って無期徒刑の判決を下しました。このことは、司法権の独立を守ったものとして、日本法制史上、重要な意義を持つ出来事と評価されています。

おすすめpoint

事件現場の略図(行兇者近傍配置巡査取調調書のうち露国皇太子殿下ヲ傷ケタル現場略図部分)
(写真3)事件現場の略図(行兇者近傍配置巡査取調調書のうち露国皇太子殿下ヲ傷ケタル現場略図部分)

現在、事件現場となった付近の旧東海道沿いには「此附近露国皇太子遭難之地」と刻まれた石碑が建っています(写真1)。
なお、滋賀県立琵琶湖文化館では、この大津事件の関係資料(写真2)を収蔵しています。写真の中では、津田三蔵が犯行に使用したサーベルやニコライの傷の応急処置に使用した血染めのハンカチが目を引きますが、実は本資料の大半を占めているのは取調書や事件の報告書、事件後の動向を示す文書などの文書類です。特に、取調書には事件現場の略図(写真3)なども付属していて、生々しい本事件の一部始終を知ることができます。また、供述調書には犯人である津田本人の供述が記されており、事件の真相にせまるうえでとても重要な資料です。

周辺のおすすめ情報

石碑周辺には、今も東海道53番目の宿場町・大津の街並みが一部残っており、旧家住宅など十数棟が登録有形文化財となっています。「大津百町」といわれた宿場町に思いを馳せ、散策してみてはいかがでしょうか。

(渡邊勇祐)

アクセス

【公共交通機関】JR琵琶湖線「大津駅」から徒歩 10分
京阪電鉄石山坂本線「浜大津駅」から徒歩 7分
【自家用車】名神高速道路大津IC下車10分 駐車場ナシ

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