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新近江名所図会

新近江名所圖会 第323回 信楽焼の歴史が学べる信楽焼ミュージアム ―リニューアルオープンした信楽伝統産業会館―

甲賀市
写真1 信楽伝統産業会館新館外観
写真1 信楽伝統産業会館新館外観

中世の遺跡・遺構の発掘調査を担当することもよくあるのですが、その際に必ずと言っていいほど出土するのが、信楽焼の焼締陶器です。大甕の破片も多いですが(もともと大きいので)、やはり擂鉢の出土が最も多いです。古いものだと擂り目がない(擂り目がないので擂鉢とは言わずにこね鉢といいます)、あるいは1本・2本と少なく、焼きの甘い灰白色のものがほとんどです。しかし、時期が新しくなるにつれて、擂り目の本数が5・6本と増えていき、焼きのしっかりとした緋色のものになっていきます。近世以降の遺跡・遺構だと、施釉陶器の土瓶なども出土するようになります。
六古窯の1つにも数えられる伝統的な信楽焼の歴史が手軽に学べる施設が、リニューアルオープンした信楽伝統産業会館新館にあります。信楽焼ミュージアムと名付けられたこの施設の展示内容は、当協会にも在職していたことがある、京都市立芸術大学美術学部の畑中英二教授が監修されています。窯跡から出土した擂鉢や甕から始まり、近世から伝世している茶壺など明治期にかけての施釉陶器などが並べられているほか、サヤなどの窯道具も展示されています(写真2)。しかし、それだけではありません。

写真2 信楽焼ミュージアム
写真2 信楽焼ミュージアム

仕事柄、私も博物館・資料館に行く機会は多いのですが、そういったところで展示されているものは、「資料」として見学することがほとんどです。ですが、ここ信楽焼ミュージアムでは、資料としてだけでなく産業「製品」としての信楽焼も強く意識して展示されています。したがって、上記の陶器類に続く展示では、轆轤などの製作道具やオート三輪などの運搬道具など、民俗資料的な道具類もあわせてみることができます。そして、信楽焼が産業として根付いた生活の場としての信楽も、50年前に撮影された写真を多用して展示されています。さらにそれだけでなく、展示の最後には、現代の作家の多様な「作品」も展示されています。スペースはそれほど広くはないのですが、「資料」・「製品」・「作品」と様々な側面を持つ信楽焼の特徴を、とても理解しやすい展示となっています。

◆おすすめPoint
新館から西へ徒歩5分の距離にある信楽伝統産業会館旧館では、現在「スカーレット」展が行われています(写真3)。2019年10月~2020年3月に放送されていた連続テレビ小説「スカーレット」。ここ信楽を舞台にしたこのドラマを、私も毎回録画して欠かさず見ていました。主人公川原喜美子が、いつも前向きに頑張る姿に感動を思えつつも、ハチさんが登場してからは、私は常にハチさん目線で物語を見ていました。とくに、喜美子とハチさんとのやりとりには身に覚えがあるものも多く、喜美子の「終わりはないで」のセリフは、妻と二人で大ウケでした。
中には、実際に撮影に使われた、穴窯やかわはら工房・喫茶サニーといったセットだけでなく、ミッコーの火鉢やジョージ富士川の色紙といった小道具類などがたくさん並べられています。お尋ねしたところ、展示はまだしばらくは行われているそうです。今一度、ドラマの世界に浸ってみるのはいかがでしょうか。

写真3 信楽伝統産業会館旧館外観
写真3 信楽伝統産業会館旧館外観

◆周辺のおすすめ情報
周辺には多くの窯元や販売店があり、道路にはろくろ坂やひいろ壺坂・窯場坂などの名がつけられています。季節が良ければ、散策するのも楽しそうです。私は、そんな窯元の1つ、嶋吉陶房さんのある湯呑茶碗が好きで、数年ごとに機会があれば購入しています。今回の取材でも、4つ目になるものを購入してきました。写真4の右端の4がそれで、左端の2が10年くらい前、真ん中の3が数年前に購入したものです。最初に購入したものは、残念ながら割れて捨ててしまったので、手許にはもうありません。4の高さは8.7㎝を測ります。
この湯呑茶碗、赤黒色の素地に暗青灰色~明青灰色の釉がかかったもので、丸い胴部から口縁部が外側に少し反る形をしています。ですが、このように3つ並べてみると、素地に少しずつ違いがあるのが分かります。2は白い砂粒=長石が良く目立ち、表面には轆轤で成形したときの凹凸がはっきりしています。3は長石が少なくなり、表面の凸凹もそれほど目立ちません。高台も少し幅広になっています。4は3と似ていますが、表面の凹凸がさらに減り、胴部もまっすぐに近くなり、高台は2に近い幅となっています。
このような違いは個体差とも考えられますが、私は製作時期の差を表していると考えました。その理由は3つあり、①商品として流通していること、②数年ごとに入手していること、③入手時に店頭に並んでいるほかのものとの個体差がほとんどなかったこと、です。実は、捨ててしまってここに並べられなかった1となるべきものは、口の部分がもっと厚く作られていました。

写真4 湯呑茶碗の型式変化
写真4 湯呑茶碗の型式変化

私たちが業務で行っている遺跡の発掘調査は、考古学の知識・方法論を基に行われています。考古学の根本となる考え方の1つが型式論(型式学)で、これは遺物(遺構)を特徴で分類・編年し、秩序付ける研究です。私はこれらの湯呑茶碗における変化の過程を見て、そこに型式差を見出したように思いました。しかし、これらの湯呑茶碗の変化に何の理由があるのかは、遺跡から出土した土器と同じように、今のところよく分かりません。ただ、我々が日常相手にしている出土土器とは、作った本人に変化の理由を尋ねることができる点で大きな違いがあります。もしかしたら、その答えが土器の型式変化を考えるヒントになるかもしれません。あるいは、そんな大した理由はない、と答えられるだけかもしれませんが。(小島孝修)

◆アクセス
【公共交通機関】信楽高原鉄道信楽駅下車、西へ徒歩3分
【自家用車】新名神高速道路「信楽IC」から南へ10分

甲賀市信楽町長野

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