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新近江名所図会

新近江名所圖會 第246回 ちょっと変わった名前の神社 -大津市伊香立融神社-

大津市
融神社入口
融神社入口
融神社・鳥居と参道
融神社・鳥居と参道
融神社・本殿
融神社・本殿

堅田から途中町を経て、京都へ抜ける国道477号(通称レインボーロード)の中程に伊香立という地名があります。伊香立はさらに細かく分かれ、その南端にあるのが伊香立南庄町です。融(とおる)神社は、南庄集落の西側に所在しています。
融神社とは、ちょっと変わった名前だと思いませんか?では、これから融神社さんに名前の由来などを聞いてみたいと思います。

質問者:(以下、質)あなたは、なぜそんな名前なのですか?
融神社:(以下、融)はい、私の名前の由来には、ある人がかかわっています。
質:それは誰ですか?
融:平安時代前期の貴族、源融(みなみとのとおる)公です。
質:その方はどのような方なのですか?
融:嵯峨(さが)天皇の皇子として弘仁13年(822年)に生まれ、後に臣籍降下(しんせきこうか:天皇の子孫が姓をもらって臣下に降ること)をして源と名乗りました。後に嵯峨源氏融流(さがげんじとおるりゅう)の始祖と言われるようになりました。
質:何をされた方なのですか?
融:自分の邸宅に陸奥国塩釜の浦を模した庭、六条河原院(現在の東本願寺「渉成園(しょうせいえん)」またの名を「枳殻邸(きこくてい)」を作った人として有名です。和歌にも秀で、『百人一首』の河原左大臣とは融公のことです。『源氏物語』の光源氏のモデルの一人でもあり、かなりのイケメンだったと言われています。
また、大江山の鬼退治で有名な源頼光(みなもとのよりみつ)の四天王の一人、渡辺綱(わたなべのつな)は子孫です。
質:かなりの地位までのぼられたのでしょうか?
融:最終的には従一位左大臣になり、六条河原院を造営したことから河原左大臣と呼ばれました。また、死後に正一位を追贈されています。
質:伊香立との関係はあるのですか?
融:もともと伊香立の地に融公の荘園があり、そこに屋敷(閑居)を建てていたのですが、融公の死後に神社が建てられました。
質:なるほど。そういう関係があったのですね。

以上のように融神社の名前の由来が判明しました。
融神社には、源融、大原全子(ぜんし・またこ:融の母)、大山咋(おおやまくい)神(山の神)が祀られています。大山咋神は日吉大社に祀られる神であり、比叡山全体を守る神です。また、漢人(あやひと)系氏族である三津首(みつのおびと)氏や秦氏などの渡来人系の人々とのつながりがある神様です。三津首氏は、延暦寺を創建した伝教大師最澄の出身氏族であることは有名です。
融神社の横を流れている融川を遡っていけば、鬱蒼(うっそう)とした森の中に旭滝という滝があらわれます。この旭滝の手前には歓喜院(かんきいん)というお寺があります。歓喜院は貞観5年(863年)に相応和尚(そうおうかしょう)によって創建された寺院で、滝の岩上に不動明王が現れたため、この地に堂宇を建立したのが始めとされています。相応和尚は、平安時代前期の天台宗の僧侶で源融と同じ時期の人です。比叡山に無動寺(むどうじ)を開き、建立大師(こんりゅうだいし)とも言われています。融神社の社殿によると、融が伊香立の地に閑居を建てたのが寛平年間(889~898)とされていることから、歓喜院が先に存在していたことが分かります。
伊香立北部の龍華(りゅうげ)や途中(とちゅう)は藤原氏の荘園があった関係から、延暦7年(788年)創建とされる環来(もどろぎ)神社や勝華寺(しょうけじ・しょうけいじ)、天安元年(857年)に新しい関所が設置されるなど平安時代前期頃から開発されていたことが分かります。
南部では、北・上・下在地や生津、南庄などに所在する寺社は比較的新しく建てられたものが多いようです。北在地には平安時代作と伝えられる聖観音立像を安置する慈眼寺(じげんじ:寺伝によると開基は江戸時代とされる)、下在地には八所神社(はっしょじんじゃ:大津宮のころに創建といわれる)が存在しますが、それ以外はほとんど創建年代が鎌倉時代より新しいものばかりです。そうしてみると、融の閑居が出来た頃は伊香立には南庄の南西方面の山奥に歓喜院だけがあった可能性が考えられます。
南庄周辺の遺跡を見ると、融川を挟んだ北側に円墳2基の南庄古墳群があるものの、そのほかは経塚のみで主な遺跡はほとんどが中世のものです。この辺りの本格的な開発は、どうやら鎌倉時代以降に行われるようになったものと思われます。

三宅 弘

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