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オススメの逸品

調査員オススメの逸品 第204回 「安土城考古博物館の屋外展示『逢坂常夜燈と車石』」                                 

近江八幡市
屋外展示の様子
写真1 屋外展示の様子
車石
写真2 車石
伊勢参宮名所図絵
写真3 伊勢参宮名所図会(大津市歴史博物館所蔵)
大津駅前に置かれた車石の説明板
写真4 大津駅前に置かれた車石の説明板

滋賀県立安土城考古博物館では、館内の展示のほかに屋外展示として、重要文化財旧宮地家住宅をはじめとする3棟の文化財建造物や常夜燈、車石、道標などの石造物を御覧いただくことができます。建造物3棟は、現博物館の前身である近江風土記の丘資料館が開館した昭和45年前後に移築されてきたものです。これに対して、石造物は県立琵琶湖文化館前に置かれていたものが、滋賀県警察本部の新築移転工事に伴って、平成17年度に移設されてきたものです。当時、学芸員として安土城考古博物館に勤務していた私は、これらの石造物を博物館の紀要に紹介したことがあります。私のオススメの逸品として、これらの石造物の中から、かつては東海道の逢坂峠付近にあった常夜燈と車石を紹介します。

常夜燈(写真1)は高さ2.5mほどの花崗岩製で、正面に「逢坂常夜燈」と彫られています。「寛政六年甲寅」の紀年銘があるので、西暦で言えば1794年に「大津米屋中」によって寄進されたものです。江戸時代後期の文人、大田南畝が享和元年(1801)に江戸から大坂への道中で見聞したことを記した紀行文『改元紀行』の中には「左に逢坂常夜灯四ツばかりたてり」と記されており、当時4基あったうちの1基です。南畝の旅は、常夜燈建立のわずか7年後のことなので、まだ真新しい姿であったと思われます。
なお、国道1号線の逢坂峠付近には同型の常夜燈が2基残されています。つまり、当館のものと合わせて、江戸時代に4基建てられた常夜燈のうち、3基は現存しますが、残り1基は行方不明です。
逢坂峠付近に残されている常夜燈は、国道の北側に立っていますが、大田南畝は「左に逢坂常夜灯四ツばかりたてり」と書いていました。江戸幕府が寛政年間(1789~1801)に編修させ、文化三年(1806)に完成した『東海道分間延絵図』を見ても、4基の常夜燈は東海道の南側に描かれています。道路拡幅に伴って、常夜燈は道の反対側に移動させられたもののようです。

逢坂峠の車石(写真2)は、荷車の運行の利便のため、京都の心学者脇坂義堂が文化2年(1805)に1万両の工費を投じて、大津八町筋から京都三条大橋に至る三里の区間に設置したものと言われています。当館にある14個の車石を計測したところ、幅50~70cm、長さ40cm程度、厚さ15cm程度に形を整えた花崗岩に、幅10~14cm、深さ5cm程度の溝が掘られています。この溝が、荷車にとってレールの役割を果たしました。
なお、寛政9年(1797)に出版された『伊勢参宮名所図会』の挿絵(写真3)を見ると、旅人が歩いている道の手前に、牛が引く荷車が進む専用レーンが描かれています。脇坂義堂による工事以前にも、場所によっては車石が敷かれていたのかもしれません。この挿絵には、常夜燈も2基描かれています。
車石は、当館の屋外展示のほかにも大津市内の各所(新近江名所圖會 第213回 旧東海道追分界隈の車石)で保管されており、多くの方々の目に触れる場所としては、JR大津駅前のものが有名です(写真4)。

田井中洋介

《参考文献》
田井中洋介「当館に移設されてきた石造品をめぐって」『紀要』第一四号、滋賀県立安土城考古博物館 二〇〇六年

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