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新近江名所図会

新近江名所圖絵 第213回 旧東海道 追分界隈の車石  

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写真 閑栖寺境内に復元された車道
写真 閑栖寺境内に復元された車道

江戸時代、琵琶湖水運を利用して東国や北陸方面から大津に集積された物資は、馬の背や牛が牽引する荷車(牛車)に積み替えられ、東海道で逢坂山を越えて京都や大阪に運ばれました。
当時の東海道は、現在のようなアスファルトで舗装された道ではなかったので、雨が降ればぬかるみやすく、人の往来や車馬による物資運搬を行う上での阻害要因となり、大量の物資運搬を行う牛車の通行路の確保が大きな課題となっていました。
そのため、幕府は、江戸時代後期の文化元年(1804)から翌年にかけて、東海道の大津札の辻から京都三条大橋までの区間(3里:約12㎞)を対象とする街道整備を行いました。それは、この区間に牛車の車輪の幅に合わせて平らな石を二列に敷き並べた石敷きの車道を敷設するとともに、人馬の通行も円滑にするために、並走する車道と人馬が通行する歩道に段差を設けて、歩道と車道を分離した構造とするものでした。
石敷きの車道や歩道と車道を分離した構造の道は、これ以前にも京都から南に延びる竹田街道や鳥羽街道、大津-京都間の一部ですでに取り入れられていましたが、この街道整備はそれまでとは桁違いに大規模で、かつ計画的でした。そうしたことからも、この区間が人や物流の幹線道路としていかに重視されていたかがわかります。
石敷きの車道は、明治時代にはその役割を終えて撤去されたため、現在は見ることができませんが、追分界隈の旧東海道沿いには今もその名残をとどめおり、車道に使われていた石材を見ることができます。その石材は、表面に牛車の轍が刻んだU字型の凹みが溝状についているのが特徴で、車石と呼ばれています。
復元された車道は、JR大津駅前や逢坂の関記念公園などでもみることができます。なかでも、一番のおすすめは旧東海道沿いの古刹、放光山閑栖(かんせい)寺(大津市横木1丁目)の境内に復元された車道です(写真)。日中であればいつでも見学することができ、往時の車道を行き交った牛車の轍を見ることができます。ご住職が車石について解説して下さることもあります。拝観料はいりません。閑栖寺は京阪追分駅から徒歩数分の場所にあります。
もし、時間と体力に自信のある方は、JR大津駅あるいは京阪上栄町駅で下車して、京阪四宮駅あるいはJR山科駅までの区間の旧東海道を散策すれば、部分的に復元された車道以外にも、民家の玄関先の景石として、あるいは石垣の一部に転用された車石など、路傍のあちらこちらで車石を見つけることができます。往時を偲びながら車石を探索するのも一興です。
なお、一部を復元した車道は、滋賀県立安土城考古博物館の一角にも屋外展示されているため、休館日でも見学することができます。(藤崎高志)

【アクセス】京阪京津線追分駅出口3出口から徒歩約8分

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